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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

生きたい     皿海英幸


  「父さんががんで亡くなったら、私父さんのエッセイを出版社に持ちこみ、印税で暮らそうと思うの。しっかり記しておいてね」以前妻が言ったことがある。
  最近、リレーフォーライフ広島のホームページにある「がん友のエッセイ」コーナーで私のエッセイを公開することとなった。「あなたのエッセイ、がん患者を勇気づける~」と実行委員長に説得されて応じた。インターネットで公開された作品なんて、出版社にとってうまみは少ないだろう。大した印税は期待できない。自費出版となった場合、持ち出しになることが多いと聞いたことがある。
 よし。私はやっぱり長生きすることにします。

   反響①
  「インターネットであなたのエッセイを読みました。私の知人にがん患者がいて心配しています。だけど、困難を乗り越え、元気になった人が身近なところにいるのだと知り、勇気づけられました」「がん友のエッセイ」を読んだ人からこのように告げていただいた。とてもうれしい。ただ、私にとっては特別頑張ったのではなく、ああした状況ではこれしかないといういわば当たり前の生き方だったが、他人を勇気づけていると知り、とてもうれしく感じた。何年間か、インターネットで公開するのがいいのか悪いのか、ずいぶん悩んだが、前述のような反響があると「取り上げてもらってよかったな」と思う。
  「エッセイ、読みました。皿海さんは愛妻家なのですね」と告げられたことあり。そんなとき「どのエッセイの、どの部分を読まれてそういう感想をもたれたのだろうか」ととても不安になる。
  「他人から見れば、愛妻家と恐妻化は紙一重ですよね」といいながら、笑ってごまかすしかないのかな。


    反響②
  エッセイ「ささやかな幸せ」を読んだ学生からメールが来た。内容の要旨を記す。
  「医学の勉強をして、当たり前と感じていることが実は奇跡に近いのではないかという思いを抱くことがあります。
        
  指が自由に動いてメールが打てること、目が見えること、目覚めて身体が自由に動くこと…等。  普段は何も考えずに行っていることが、実は精巧な仕組みの下で行われていて、それらが幸運なことに、機能しているのだとしみじみ感じました。皿海さんの記された、ささやかな幸せかもしれません」


  私のエッセイを深く読んでいただきありがたい。彼女の文章を読んでいると、今、生きているって素晴らしいことだな。命は大切にしたいなとつくづく感じます。
  もっとも、皆さんにとっては女子大生と私がメールで付き合っているということ自体が、奇跡のようなことだと感じるかもしれませんね。