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postheadericon 2012年3月マラソン大会を前にして

2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

   マラソン大会を前にして  皿海英幸
 人は、がんの告知を受けたとき あるいは予期せぬ困難が続いたとき、「まじめに、誠実に生きてきた私がなんで?」「自分の人生の意味は何なのだろう」と疑問を感じる。だけど、このような疑問の答えは簡単に出るものではない。うなだれ、落ち込む時間が多くなる。そんなとき参考になる本を見つけた。「それでも人生にイエスという V・E・フランクル著」である。一部を引用する。
 私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し、私たちにと胃を定義しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生が絶えずその時その時に出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答えを出さなければならない存在なのです。
 困難に対してどのような態度を取るかということのうちに、その人本来のものが現れ、また、意味のある人生が実現されるのです。
 アウシュビッツ収容所で過ごした体験を持ち「夜と霧」の作者であるフランクル氏の言葉には説得力が満ちている。どのような困難(絶望的)な状況におかれても、疑問に感じたり、嘆いたりするのではなく、そこでどう考え、どう行動するかが大切と私は受け取った。つまり、どういう状況に身を置こうとも、自分の人生の主役は自分自身。なんだかやる気がわいてきた。
 「もしかしたら」フランクル氏の言葉は「生きがい療法」に通じる点があるのではと思う。
○自分が自分の主治医のつもりで、病気や人生の困難に対処する。
○不安・死の恐怖はそのままに、今できる最善を尽くす。
 父が足を一月に骨折して以来、帰宅後・休日は父の
介護を中心とした生活を過ごしている。「子どもとして
は当然のこと。できるときに孝行しよう」と思いなが
らも、いろいろ考える。職場では清掃担当職員であり、
今、リフレのワックス清掃を実施中。「ときには残業し、
ああすれば・こうすれば」と思いながらも定時で帰宅。
病院受診でやむなく休みを取る時「他の職員・利用者
に申し訳ない」と思いつつ、「今は症状に合わせて休を
取って十分な対応をするのが難しく、父や家族に申し
訳ない」など雑念がわいてくる。
 また、今まさにロードレースのシーズンであり、休日ともなれば各地で大会が開催されている。申し込みをしている大会が近付くと、正直もんもんとした気分になる。こんな自分にふがいなさ・無力感を感じる。
 だけど「それでも人生にイエスという」を読み、元気がわいてくるように感じた。自分こそが主人公であり、どういう選択をするかが今 試されている。
 ギブスが外れたばかりの父にとってはリハビリが大切。平日に父を一人で介護している母は疲れがピークであり、休む時間を取ることが大切。介護保険の申請は骨折してからあわててしたので、実際の利用はもう少し日数がかかりそう。
 休日はためらわず、私が父の相手をすることを中心に考えよう。ロードレース大会は不参加だが、父が歩行可能になったらその地に行き、ジョギングを楽しもう。
      
 例えば二月十二日開催の「神戸バレンタインラブラン」 受け行け時間を考慮すると新幹線で行くしかない。でも、春になって神戸の街でジョグを楽しむのなら、高速バス利用も可能。参加賞はTシャツだが、運賃の差額で好みのTシャツを買おうか。もしくは元町あたりでしゃれたシャツを買おうか。昼食も豪華にすることが可能。こんな能天気な考え方をしていると気分が明るくなる。でも、神戸の看護学生にがん体験を話したら「神戸でも走ってください」と誘われたのがきっかけの大会だけにこだわりもある。
 本当は言うまでもなく、私が休日に父の介護をすることにより、両親が早く元気を取り戻してくれることが大切。生きがい療法にもある。
○人のためになることをする。
 フランクル氏の話から始めたが、横道にそれたようである。でも、フランクル氏の考え方に接するきっかけになれば幸いです。