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postheadericon 2012年2月心は平穏に

2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

   心は平穏に
 「一月は、往る」というが、本当にあわただしく過ぎ去っていった。新しい年となり、「平穏な年、希望の年に」という思いはほんの数日であった。
 七日だったろうか。夕食後「下半身が痛くて動けない」と父。「どこかで打つかこけるかしたの?」と聞くが、「そんなことはない。何故だかわからない」とりあえず、抱えるようにして布団に寝てもらう。「突然痛くなったのだから、寝て起きたら痛みがなくなっているかもしれない」という父。救急車をよぶほどには思えないので一晩様子を見よう。
 翌日になっても父の痛みは取れず、自力では動けない。そこで外科を受診すると「左足、ひざの皿にひびが入っています。動かすと治らないので左足全体のギブスをしましょう」と言われる。医師の問診の際「先日歩いていて転んでから痛くなった」と答える。一時的に記憶が飛んだのか、それとも認知症が出てきたのか。
 「ギブスをしたら、あとは時間が薬、医師がすることはない」と言われ、自宅療養となる。さあ、これからが大変。両手、片足は使えるはずだが、介護用ベッドに寝ると、自分では何もしない。日ごろ「徴兵検査で甲種合格、そして野砲隊に配属。体格がよくて力があるから」と自慢げに言う健康体。突然動けなくなり始めてのベッド生活で弱気になり、わがままが出る。夜間でも平気で人を呼ぶ。
 父はもうすぐ九〇歳、母も似たようなもの。母に介護のすべてを任せるわけにはいかない。仕事がすんだら毎日駆け足で帰宅し、父の相手を私がせざるをえない。土・日曜は隣室に待機し、私が対応して母を少しでも休ませる。
       
 そんなとき、「今年のリレーフォーライフは平成大学で行ってはと思うが、どうですか。返事をください」というメールが届く。平成大学なら昨年のびんご運動公園より交通の便はよい。府中・福山市の市民にRFLを知ってもらうには好都合の場所。だけど賛意を表すと「今年も実行委として参加します」と意志表示することになるのでは。今の時点では定期的に会議に参加することはできない。状況が許せば当日だけは参加できるかもしれない。返事を送るのに躊躇する。
 さて、家族に病人・けが人が出て介護が必要な時、外部との関係をどのように考えたらいいのだろう。人情としては、外部との関係を断ってでも家族のために精一杯のことをしたいと思っても不思議ではない。ただ、家族だけという閉鎖的空間が続くと、ストレスからイライラが募り、患者に辛く当たるようになる可能性が考えられる。小澤竹俊氏の講演のように、患者に寄り添うことは家族だと難しい。患者の虐待は閉鎖的空間で起きることが多いような気がする。
 そこまで考えなくても、何らかの形で外部とのつながりを持ち、風通しを良くする必要は考えられる。雑用が増し、心労があり、気ぜわしくなるのは事実だが、人は同じ境遇の人とつながっていると気が楽になり、ほっとする。自分の思いが伝わったと思うと意欲が増すことは多々ある。
 遅ればせながら、二月になったらRFLあるいはびんご生と死を考える会等と連絡を取ってみようか。会合に行けなくても、メールあるいはケイタイという手法もある。とにかく今もつながっていると実感できることが大切。すばるクリニック主催「心の健康セミナー」(三月二五日)では講師として私のがん体験を語ることを新年早々に承知していることだし。
 順調に行ってギブスをはずすまでに一カ月。高齢なのでリハビリは最低でも一カ月以上必要だろう。どこまで回復するか。念のため介護保険申請手続きはしたが、お世話にならないまでに回復すればそれが一番。そう思いながら父のリハビリや雑用等家事を行っている。
 思いはあり、記したいこともあるのだが、まとまった時間が取れないので、最近エッセイを負担に感じることがある。でも、やっぱり誰かとつながっていたいし、せめて心だけでも平穏に暮らしたい。