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postheadericon 2012年2月初春に思う

2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

    初春に思う    皿海英幸
 昨年を振り返ったとき、まず浮かぶのは東日本大震災であろう。しかし申し訳ないが、個人的にはとても良い年であった。主な内容としてはスキルス胃がん術後五年を迎えることができたこと。そして二回の入院だ。五年生存率があまりに低いので、それはなるべく気にしないようにふるまってきたが、心の奥底ではやはり意識していたように思う。「今ここで死んだとして、悔いはないか」折に触れて自分に問う。結果としての五年を生き抜いただけでなく、職場復帰し、フルマラソン完走ができた。もちろん私だけの力ではなく、医療スタッフ・家族等多くの人に支えられていた。こうした周りの人とのつながりを意識できたこともうれしい。
 春の入院は誤嚥性肺炎によるものだ。原因としては胃を全摘している影響が考えられる。今までの術後が順調すぎるほど順調だっただけに、「全摘手術を忘れるな」という良い教訓だった。
 秋の入院は検査入院。自ら希望したもの。四十八時間連続しての血糖検査、ブドウ糖負荷検査等、私の血糖値の動き、対処法がよくわかり、有意義だった。
 さて、初春を迎え、今年の目標はどうしよう。今まで「何としても五年間生き抜く」という目標を掲げていた後なので、すぐには思い浮かばない。
 年賀状には「諦めないけど明らめる」と記した。「明らめる」というのは見慣れない表現と思われる人もいるだろう。仏教ではよくつかわれる表現であり、「物事の本質を明らかにする」という意味だという。つまり、困難に出合った時、断念したり逃げ出したりせず、本質を明らかにしようというもの。本質が明らかになれば対処法も考えられるのでは。
 ただし、困難に出合った時、私一人で対処するのではなく、周りの人に相談したい。そして社会資源も上手に使いたい。
 年賀状と言えば、今回「エッセイで元気をいただいています」「あなたの生きる姿が、人に勇気を与えています」と記されたものがあった。メールでエッセイを送っている人の中にもこのような内容の返事をいただくことがある。
 私は「特別なことをしている」という意識はない。ただ、前述のように五年生存率があまりに低いので、「前例がないのなら、私が前例となるような生き方をしたい」と思って生きるしかすべがないと感じる部分があった。
       
 あるマスコミ関係者が言った。「スキルス胃がんで胃を全摘している人がフルマラソンに出場なんて、私から見れば自殺行為に等しい。でもあなたは五年生き抜いた」他人から見れば前例のないことをしている・頑張っていると感じるかもしれないが、私にとっては趣味に打ち込むことで生きる張り合い・目標を見出すしかなかった時期がある。
 年賀状のような評価を頂けるのであるなら、これからも「前例がないのなら、私が前例となるような生き方をしたい」といった生き方をしてみたい。そして、五年間生きてきたこと、考えたことを生かした活動(具体的には何をどうするかわからないが)に取り組んでみたい。また、私の仕事である障害者の支援に体験を生かすことができたらいいなと思う。
 そして整理整頓ができるようになりたい。最近しょっちゅう探し物をしている。これは認知症の始まりととらえるか、年相応の物忘れととらえるか。ただ、私としては整理整頓がきちんとできず、乱雑にしているから忘れ物、探し物が多いという気がする。「とりあえず」という気持ちで簡単にものを置き、しばらくすると何をどこに置いたかわからないということが多々ある。昨年「断捨離」という考え方が話題になったが、私もできるだけ身の回りをシンプルにし、整理整頓したい。そして探し物という無駄のような時間を減らしたい。
 とりとめもなく記したが、二〇一二年の初春に思うことである。