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postheadericon 2011年10月ルミナリエステージに出場しました

2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

   ルミナリエステージに出場しました
                   皿海英幸
 夕暮れが迫るびんご運動公園サブグランド。ルミナリエに点灯され、HOPEの文字が浮き上がる。リレーフォーライフ(RFL)「がん啓発サポートキャンペーン」でも特に重要視されている「ルミナリエステージ」の開始が迫ってきた。私は第一回以来今回で三回目のスピーチだが、やや緊張気味。それだけ大切に考えているということだと思う。
 「ルミナリエステージ」とはがん患者・体験者あるいは家族が経過や思いを発表する場。諸般の事情で三回目にして初めて聞きにきてくれた妻と娘にカメラを渡し、軽く手を挙げるとステージ横の集合場所へ。他の発表者(六人)が「どうぞ、どうぞ」と勧めるので私からステージに上がる。必然的に向かって左端に立つ。ときには中央に立ってみたい気がするが、ぜいたくな願いか。
 浜中実行委員長の司会で始まった。「昨年同様今年もトップですね。RFL希望の星、皿海さんです」と過分な紹介。スピーチの内容だが、「五年生存率は十%余と主治医に告げられていたが、今年八月末、術後五年目を無事迎えることができました」というのが中心になる。だから告知を受けてからの経過を淡々とスピーチする。「術後五年目を迎えることができました」では会場全体が大きな拍手。このように多数の人に祝ってもらえる私は本当に幸せ者。その後、「この五年間の体験を生かすことができる活動ができればしたい」と添えた。
 聞いていた妻と娘の感想は「原稿を事前準備し、棒読みしている感じ。もっと抑揚をつけ、感情も交えて訴える方がよかったのに」というもの。
 そうかもしれない。途中、間を置き、会場を見渡す余裕があればいいのだが。また、腸閉そくを起こした日、「点滴の管を引きちぎり、四階の病室から飛び降りたら楽かな」と一瞬考えた日の辛さ、そして妻や娘の献身的看護を思いだすことで乗り越えられたことを居合わせた者としては触れてほしかったのではないかなと発言から推測する。ただ、私としてはトップだし、できるだけ淡々と話したいと思っていたのでこれで良としよう。
 「さっきスピーチをされた方ですね」夕食を取っていると話しかけられた。聞けば府中市の方。親しみを感じしばらく話しあう。「スピーチを聞き、元気が出ました」と言われるのはやはりうれしい。また、周回コースを歩いていたときにも、何人かの参加者に話しかけられた。話していて感じることだが、私は「強い人」あるいは「前向きな人」ととらえられているようだ。スピーチの中で、「前例が何のなら、私が前例となるような生き方がしたい」と言ったことがそうとらえさせたのかもしれないと思う。患者の方が、そのようにとらえたほうが、「元気が出る」と思われるのならそれもいいかなと思う。ただ実際は違うので、その点も知っていてくれる人がいるといいなと思う。
      
 手術前には、随分厳しい見通しを言われたし、退院に際しても五年生存率は低い数字を示された。しかし私には、まだ学校に行っている子どもがいるし、九十歳近い両親がいる。私が今亡くなるわけにはいかないので、「前例が何のなら、私が前例となるような生き方がしたい」と考えるしか、心の整理の仕方がなかった。たとえ途中で亡くなるにしても「父さんは、前向きに生きていた」という思い出を子どもたちに残してやるのが親の務めと思った。本来の私は弱虫であり、一人で考え込む性格。
 ただ、がんになって、多少性格は変わったと思う。短期間に二回の開腹手術をしたので、腹黒い部分も取り出していただいたと思うことにしている。この話を看護師さんにすると「私から、腹黒いところを取ったら、私が私でなくなる」と言われたが、私もすべてが変わったとは思わない。今も落ち込んで考え込むこともある。ただ、人前で自分の体験を、スピーチをすることを通し、その期間が徐々に短くなっているようだ。
 ところで浜中先生は、「RFL希望の星、皿海さんです」と紹介された。人前であのような紹介を受けた以上「今年で参加をやめようかな」とは言えなくなった。来年も声をかけていただければ、何らかの形で参加せざるを得ない。とりあえず、実行委のTシャツ着用で町中をジョギングしようかな。