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postheadericon 2011年3月インターネット掲載について

2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

    インターネット掲載について
 「皿海さんの文章はみんなを元気にします。ホームページ、あるいはブログで発表されたらどうですか」 尾道のH先生よりメールをいただいた。私のエッセイを評価していただき、ありがたいと思う。ただ、以前も「本にしたら」あるいは「インターネットで公開したら」と提案してくれた人がいる。その際「私のエッセイは信頼できる人に手渡しすることを通してジワーと広がるのがよいと思います」とお断りしている。だけど、「がん患者が元気になる」と言われると心が揺れる。そこで、記しながら気持ちの整理をしてみたい。
 私のエッセイは「記してみたい」と思ったときに記している。だから不定期である。内容は「記してみたい」と思ったことを記している。そしてラブレターを書くつもりで記している。つまり、気持ちを伝えることを最優先している。時として文法を無視したり、当て字を使ったりすることもある。そのほうが気持ちをよく伝えると思う時がある。こうした性格上、全く私的文章である。
       
 そのため、好意を持った人にだけ手渡ししている。もっとも最近はメールで送る人が増えた。ただ、私が所属する団体「あせび会(難病者の会)」「生きがい療法実践会」「びんご生と死を考える会」野機関誌で使用されるのは認めている。団体の主要メンバーと信頼関係があるからだ。同じ理由で「とまーれ」「リレーフォーライフイン広島」では自由に使用してもらっている。
 私の職場では忙しい時期に、臨時職員を雇用することがある。私が担当する場合は、機会を見てエッセイを読んでもらう場合がある。そのことを通して私を理解してもらうと、コミュニケーションがスムーズとなり、仕事を早く覚えてもらえる。職場に限ったことではないが、新しく知り合いとなり親しくなった人に「よかったら読んでください」といって手渡す際のドキドキ感を楽しんでいる。
 インターネットだと、不特定多数の人に公開するということになる。文法・誤字には今までと違い、十分気をつけなければいけない。また、本など他者の文章を引用する場合、著作権の問題が絡んでくるかもしれない。そうした問題は学習することでクリアーできたとしても、問題が残っている。
 作品は作者の手を離れるとさまざまな読み方をされる。時として、作者の意図と違った解釈をされることがある。同人誌の輪読会で、私の作品が取り上げられた際、私の思いとは全く別な視点で話が盛り上がり、戸惑いを感じることがある。プロの作家なら覚悟の上だろうが、素人の特権で記したいように記している私には煩わしく感じることがある。
 私の生活信条は「名もなく貧しく美しく」であり、有名になろうとは思わない。お金も必要最低限あればいい。欲はできるだけ持たない様にしている。
 H先生の提案に感謝するが、インターネットを使っての公開を今は考えないことにしよう。ただし、H先生が「リレーフォーライフイン広島」「患者会」等自分の所属団体で私のエッセイを使用されるのは歓迎することとしよう。
 この文章を記して数日後のことである。
 「皿海さん、看護学生に講演した話が載っている冊子、私に貸してください」友人が声をかけた。「いいですよ。でも何か?」「私の知人に末期がんの方がいるのです。話をしているとすぐに落ち込み、涙ぐむのです。皿海さんのような考え方、生き方をしている人がいることを伝えたら元気が出るかなと思うのです」「そうなのですか。ありがとう。私の文章、どうぞ利用してください」「皿海さんのように前例のないところで生きている人と知り合いなのは、ちょっと自慢です」
 知人のことを思うやさしい友人。あなたのような人と知り合いなのは私もちょっと自慢。でもこういう風に私のことを評価し、利用してくれる人がいるということを再確認すると、また心が揺れる。インターネットに掲載したほうがよいのかなあ。