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postheadericon スキルス胃がん卒業後に(2018年04月18日)

2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

    スキルス胃がん卒業後に(2018年04月18日)  皿海 英幸

 最後のがん検診を無事に終え、「もうがん検診はしなくても大丈夫」と医師に言われ、はや一週間が過ぎようとしている。その間お祝いのメールあるいは直接声をかけていただいた。身に余る言葉もいただき、戸惑うところもあるが素直に喜んでいる。

 でも、「腹膜播種したスキルス胃がん。腹水もあり、その中にもがん細胞がいる。抗がん剤が効かなかったら余命三カ月」と告知された私がなぜ十二年近く生きているのだろうか。自分でも不思議に思うと同時に「そこが知りたい」というメールも何通かいただいた。そこで、これまでを振り返りながら記すことでヒントを得たいと思う。

 まず思うこと。余命宣告を受けた時、五年生存率を告げられた時「あなたは抜群の基礎体力があるからもしかしたら」と告げられた。その言葉を添えられたことにより、一方的に落ち込むことなく私自身も希望を捨てなかった。「前例がないのなら、私が前例となるような生き方をしたい」「何としても五年以上生き抜き、わずかな数字でもよい。五年生存率を上げられたら」と思うことができた。

 また基礎体力があるということは治療の選択肢が増えることにつながる。また、自身の持つ免疫力も人並み以上ではないかと思う。

 そして、私は人に恵まれていたのではないかと思う。がんが見つかり、岡大病院に行くとき、職場へ挨拶に行くと「同じ職種、同じ待遇で待っています。安心して治療を受けてください」と言われた。待っている人がいて、帰るところがあるということはとても大切なこと。

主治医、担当看護師と相性が良く、ざっくばらんに話し合えた。よく「カルテを見ないとだれかわからない患者ではなく、顔を見ればわかる。名前を聞けばわかる患者になれ」というが、待合室で待っていたら「皿海さん、最近も走っている?今度はいつ大会に出るの?」と医療スタッフに声をかけていただいた。

 どの抗がん剤を使うか決まり、いったん岡大病院を退院し、地元の寺岡記念病院で抗がん剤治療をするとき、近くに住む同人誌でおせわになっているH先生に「通院日は家に寄って休んで行きなさい」と言われた。タキソールという抗がん剤はアルコールで伸ばし、点滴でいれるので体が酔ったようにふわふわする。病院の近くに休むところがあるというのはとても助かった。

 また、「私たちでよければ」と一週間に一度リフレにお茶とお菓子を持参し話し相手になってくださったふれあいの会IさんSさん。がん患者は孤立、孤独を感じやすい中でとても役立った。おしゃべりが楽しく抗がん剤のことを忘れさせてくれた。

 岡大病院に再入院し、手術をする際にはTシャツに励ましの言葉を寄せ書きして送ってくださった手話サークル「トロッコ」・難病者の会「あせび会」・府中市保健課の方々。「こんなのがあったら元気づけられますよね」と岡大病院の医療スタッフ、患者さんがTシャツを見に来られた。

 今回は看護学生がつきそってくれた。無口な私は彼女と親しくなるため自作のエッセイを送ったら、とても喜んでくれた。以後、打ち解けた雰囲気でよくしてくれた。また、指導の先生とも親しくなり、退院後も通院すると話し合う間柄に。

 胃・胆のう・脾臓の全摘手術は成功したが、腸閉そくを起こしていた。腸閉そくの苦しさは半端ではない。「いっそ四階の窓から飛び降りようか。楽になるだろう」と思ったが、窓の方を見ると妻がいた。夕方までは娘が。献身的に支えてくれる家族の存在に思いとどまることができた。

 八十代半ばの両親が府中市から電車を乗り継ぎ見舞いに来てくれた。こうした家族の支えにどれほど支えられたことか。

 腸閉そくをなおす手術が終わり、麻酔が覚めるうつらうつらの状況で「私は本物の芸術に接する機会が多かった。だから大丈夫」と思った。これはマラソン大会に出場すると、必ずといってもいい、帰りに美術館・博物館に寄って帰っていた。例えば福山・尾道のマラソン大会、はきもの博物館・福山美術館に寄っていた。広島なら広島美術館・県立美術館・井原だと田中美術館というように。京都だと府立美術館、平等院・清水寺かな。

 そして退院。とはいえ胃のない私は食事がつらい。そんな私にアドバイスをしてくださっていた保健課のT栄養士。「病院に行った後、医師や栄養士さんに何と言われたか教えてください。私自身の勉強にもなるから」と言われていた。 

 休職中ではあるし、自分自身でできることを探そうと思い、がんの学習をしたり講演会を聞きに行ったり。その中で伊丹先生を通し、「生きがい療法」に出会えたことは大きかった。先生の居られるすばるクリニックは新倉敷駅前なので、岡大病院の帰りにより、学習会に参加させていただいた。

 ほかにも「びんご生と死を考える会」「県北がん患者会とまーれ」などの活動に参加させていただいた。三次中央病院のS看護師に「皿海さん、あなたは生きているだけで価値がある。今までスキルス胃がんの患者さんにはどのように声をかけたらいいか、言葉が出なかった。これからは『皿海さんの例もある。一緒に頑張りましょうね』といえる。ありがとう」と言われたこと。今でも鮮明に覚えている。

 術後が順調だと、岡大病院に通院してがん検診を受ける間隔がだんだん長くなる。「外科だと三カ月に一回でもいいが、内科的には一カ月に一回診てもらう方が良い。地元の内科で診てもらったら」と内科の医師に言われた。そんな私に府中市のW内科を紹介してくれた元同僚で現在医療スタッフとして働いているMさん。ありがとう。

 「リレーフォーライフ広島」に出会えたのも幸いだった。第一回は個人で参加したにもかかわらず「ルミナリエステージ」でスピーチを行う機会をいただいた。三回目からは実行委員としての参加。より親密度が増すとともに生きる元気をいただいた。RFL広島、今年は十周年記念大会だが、その間連続してルミナリエステージでスピーチを行っている。H実行委員長はじめ実行委員の皆様に感謝。

 胃がないにもかかわらず、退院後フルマラソン完走五回の実績がある。出場を勧めてくれた妻はもちろんだが、このことを紙面で取り上げてくださった地元のミニコミ紙、ありがたい限り。また、私のこのような体験を講演会の講師として招いて下さった団体、手記として取り上げてくださった出版社、本当にありがたいことです。

 がん検診受診率アップのためのイベント「素敵な女性でいたいから」を主宰されたTさん、そしてスタッフの皆さん。私のようなむさくるしいおじさんにも声をかけていただきうれしい限り。特に地元府中市でこのようなイベントを開催することができ、私も関わることができた点、とてもうれしく感じるとともに感謝している。

 それやこれやでこの四月を迎えることができた。そして「がん検診を受けなくてもいい」と医師に言われた。そのことをわがことのように喜んでくれた同僚のSさん。日ごろから私と共に清掃を行っているSさん。記念日をあなたと共に迎え、ともに喜び合うことができとてもうれしく感じています。

 がんは二人に一人が罹患する病気。だけど医学の発達もあり早期発見すれば助かる病気。同時に気持ちの持ちよう、周りの人間関係が大切な病気。その点私はとても恵まれていると言えよう。

 医療スタッフ。周りの人たちのおかげで行かされた私。この命、大切に丁寧に生きていきたいと思う。