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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

   しなやかな発想(2018年01月28日)    皿海 英幸

 「今日の講師はユニークな人ですね」そんな気持ちにさせる入りだった。何しろ講師が「皆さん熱心ですね。私だったら土曜日といえば研修会に参加するより遊ぶ日と思っています」といきなり語り始めた。

 一月二十七日(土)「私たちは、だれと、どう生き抜こうとしているのか?~愛媛県愛南町の実践より~」社会福祉法人まどか主催の研修会。講師は公益財団法人正光会御荘診療所所長 NPO法人ハートinハート南宮市場理事 長野敏宏さん。それではいつものように印象に残った点を記してみたい。


 私は七百~八百人くらいの患者の主治医だが、精神科は病気を治せないことが多いし、病院だけではどうにもならないことがあるので、地域の人たちと共に生活することを勧めている。

 私は医師として嫌なことは、病棟に鍵をかけること、うそをつくこと。患者に病名を告知すると患者は「お薬飲んだら治りますか」「十年飲めば治るでしょう」それから十年たちました。「十年飲んだからお薬やめてもいいですか」「お願いだから飲み続けてください」いい加減なことは言わない方がいいですね。それに保護室へ入れたからよくなるとは思いません。以後は医療の話ではありません。「私たちがどう生きるか」というテーマです。

 私たちの町は人口が減っています。二~三万の町で毎年五百人ですよ。まず県の機関が、次に大企業が撤退です。仕事がない→仕事を作る→人がいない→募集しても人が来ない。ハードルが低くなり障がい者もいろいろなところに就職している。「障がい者で大丈夫か」という声は出ない。

 私たちだけでなく日本全体に人口減少が起こる。これから生きていく中で誰かだけが生き残るということはあり得ない。主語は「私たち」で考えたい。生活困窮者・高齢者・障がい者・・・公的支援をするために生まれた言葉。境界がわかりますか。支援の目標は「○○のために」ではなくみんなのために。支援は必要だが前記のような枕詞はいらない。障がいを持った人・それを支える人、境はない。

 「医療だけでは治せないので共同生活の中で力をつけてたくましくしなやかに生きてください」「街に慣れる、街が慣れる」「ありとあらゆる人と繋がる」「『精神障がい者を、から精神障がい者と共に』当たり前にみんなが混ざり合う」「交流してもらう立場から頼りにされる立場へ」「この人たちを外したら自分たちも生きていけない」

 私たちの施設を地域に知ってもらうのではなく、地域を知る。地域で困っていること、手薄なところを知って手伝えることを探す。最初に手掛けたのが廃業しようとしていた観葉植物のレンタル。毎日数人が担当し、年間三百万円の売り上げになっている。三百万円といえば通常なら人一人雇える金額ですよね。

 次に、赤字続きの町営温泉。指定管理者となり、温泉で働いていた人たちの再雇用と障がい者雇用がコラボし、一緒に働くことに。

 五十人の観光客がバスできても一回だけなら年間五十人。地域の人一人が毎日来てくれれば年間三百六十五人。「地元の人の台所に」。単価を下げ、家庭料理を中心としたバイキング形式を取り入れる。観光客をターゲットにしていた時より売り上げが伸び続けている。

 「アボカド」や「アマゴ」の生産にも取り組んでいる。脳こうそくの人、統合失調症の人もスクラムを組み一緒にやっている。生活の中で一緒に過ごすことが大事。

 医者の見立てた あの障がい者は「働ける」「働けない」は当てにならない。できる仕事をしよう。福祉施設、福祉工場ではなく街に溶けていこう、混じっていこう。皆さんお一人お一人がとても大切な人。自分が生かされる場が見つかることを願っています。必ずどこかにあります。


 私は福祉の仕事を始めて十年余りになると思うが、講師の話はとても新鮮かつ、しなやかなものを感じた。型にはまった発想ではなく、現実を見据えながらもしなやかな考え方を身に着けたいと思った。