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postheadericon 二〇一七年を振り返る(2017年12月31日)

2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

   二〇一七年を振り返る(2017年12月31日)     皿海 英幸

 

 二〇一七年の元旦は父と一緒に迎えていた。足腰が弱り、一人では生活できない父はショートステイを利用し、介護施設で暮らしていたが昨年の大みそか、迎えに行った。我が家で楽しそうにお酒を飲んでいる父の写真を見ると今でも当日のことを思い出すようだ。

 

 その父もゴールデンウイーク明けに誤嚥性肺炎となり、府中市民病院に入院した。高齢者が肺炎になると死に至ることが多いので心配した。担当医は当初「そこまで重篤ではない」と言われていたが、口から食事をとることができず、点滴だよりという状態が長引くと、体力が落ちてしまい、七月に帰らぬ人となった。

 

 「延命治療は辞退します」と申し出ていたが、父が意識不明の中、新しい治療法を次々に提案すると迷いが生じた。「生きがい療法」「生と死を考える会」等で一般人としては終末期医療について学習しているだけに自分が歯がゆかった。だけど最終的には新たな提案を辞退し、父の尊厳を守ったと思っている。

 

 亡くなった後、通夜、葬儀、法要とあわただしかった。「私は最近家族を亡くし、葬儀や法要を経験しています。困ったときにはいつでも声をかけてください」と申し出た同僚には感謝している。実際には、家族葬としたので、家族と葬儀社とで話し合いながら、簡素ではあるが温かみのあるものになった。

 

 また、しばらく参っていなかった亡き妹の墓参りに父の報告を兼ねて十一月に参らせてもらった。墓参りの後は、三滝寺に参り、紅葉を堪能させてもらった。

 

 さて、二〇一七年の私のテーマは「真剣」。父への対応に関してはまさに真剣にかかわったと思っている。介護施設へ、病院へ二日に一度くらいのペースで通った。「お前がたびたび来てくれるから、周りの職員も他の人以上私を大切にしてくれる」と父が言えば、いかざるを得ない。マラソンだが、井原、京都の大会でハーフを完走。また神戸、福山、城陽、広島では十キロの部に出場し楽しんだ。特に城陽では完走後、孫の由衣ちゃん宅により、一緒に遊んで楽しむことができた。

 

 ただ、毎年楽しみにしている宮崎市で開催の「青太マラソン」フルの部だが、父のことがあり、練習不足、そして母の状態も思わしくないので、残念だが辞退した。来年もしくは再来年、事情が許せばもう一度青太マラソンを走ってみたい。

 

 マラソンといえば、「希望の会」に注文し、胃のイラストをリアルに描いたTシャツを得た。それを着用し大会に参加するという新たな楽しみ方が増えた。

 

 例年楽しみにしているがん検診啓発活動、「素敵な女性でいたいから」「リレーフォーライフ広島」に参加でき、うれしく思っている。特にリレーフォーライフ広島は台風の影響で中止の決定となったが、後日リベンジということで開催されたこと、とても意義があり、うれしく思う。

 

 がんといえば、「もう一〇年以上ですね。岡山まで来なくても地元の病院で診てもらえばいいですよ」と言われ、岡山医療センターを卒業できたのは今年の四月。

 

 また、大相撲安芸場所(地方巡業)を知人の勧めで観に行くことができた。土俵に近い良い席を譲ってもらい、楽しむことができた。生で見たのだから、今まで以上大相撲を応援したいと思ったが、安芸場所の数日前、日馬富士による暴力事件が起きていたことを知り、ちょっと複雑な思いがある。

 

 父の死があったので、順調という言葉は使えない私生活。でも、まずまずととらえている。それでは職場ではどうだったかというと、二度ピンチがあった。

 

 一度目は一月の職員会議。正式な議題は終了し、帰り支度をしている私に女子職員が話しかけた。「Kさんの利用時間を増やすべきか関係者会議があるそうですが、どういうスタンスで臨まれるのですか」から始まり、対応に苦慮している状況を複数の職員が一斉に発言した。私は脱力感というか、全身の力が抜けるような気がした。こんな職場、こんな考え方はいやだ。イザとなったら利用者本位だ。

 

 私たち職員は職業として利用者と接しておりプロ意識が大切。私情は控え、難しい人こそ支援が必要であり、実力をつけるチャンス。

 

 関係者会議でKさんの利用時間は増やす方向で考えようと決定。その後女子職員の一人はとことん話し合ったうえ、私の考え方を理解し、応援してくれるようになった。また、Kさんの担当職員を私が引き受けた。波はあるが以前より落ち着かれ、いまではこういう騒動があったということを覚えている職員はいないのではと思う。

 

 また、秋には個別支援計画作成中、「もしかしてうつ病が再発したのでは」と心配した時期があった。気分は落ち込み、睡眠時間が確保できない日が続いた。「私が皿海さんを支えますから今まで通り、支援計画を作成しましょう」と言ってくれる同僚が居り、言葉通り、親身に私を支えてくれた。おかげでほどなく立ち直ることができ、この職員には本当に心から感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

 もう一つ大切なこと。「Sさんを清掃担当職員として育ててください」と管理者並びにI理事に言われていたが、これは結果を残せたと思う。ただ、私が育てたというより、Sさん自身が努力したところが多く、私の手柄とは言いにくい。

 

 いろいろあった今年もあとわずか。「真剣」というテーマは重すぎたか。来年は上手に息抜きをしながら望んでみようか。ただ、四月には六五歳の誕生日を迎える。定年を意識し、ラストスパートを行う年でもある。