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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

     忘年会考(2017年12月21日)  皿海 英幸

 

 

 十二月も半ばとなり、あわただしい時期となった。併せて忘年会を掛け持ちし、一段と忙しく過ごされている人もいるかと思う。私の職場でも、先日忘年会の話があった。最初は「車で通勤している人が多く、飲みながら話をすることが難しいので、今年は泊りがけの忘年会を」と幹事からの話があったが、さすがに師走。皆忙しく、参加者が少なかったので、例年のごとく泊まらない忘年会の開催となった。私はもちろんどちらも「不参加です」と返答した。

 

 胃を全摘して以来、食事は苦手である。妻は「父さん、食事のときは修行僧みたいね」という。術後十一年たっても食事に失敗することはある。特別な自覚症状、前兆があるわけではないので困る。そこで外食は極力控えている。

 

 そのうえ糖尿病で、最近ヘモグロビンA1Cの数値が高くなった。妻が計るようにして作る食事のみ食べるように心がけている。職場の忘年会とはいえパスしたい。

 

 そもそも忘年会とは「その年の苦労を忘れる、あるいは慰労するため開催する」とある。私に取り、個人的な事情ではあるが、他人と共に食事をすることは負担を感じる行為であり、苦労がいっぱい。

 

 ただ、今回の忘年会に当たり、「皿海さんの料理、私が八割くらい食べてあげますから参加してください」と発言した同僚がいたことに関しては非常にうれしく思う。この発言だけだと、「要は健啖家」「食いしん坊」と思われる方がいるかと思うが、そうではない。

 

 今年の秋口だったろうか、利用者の個別支援計画に取り組んでいたとき、なぜか行き詰まりを感じ、心が不安定になった。「もしかして、うつ病が再発するかも」と不安になったが、彼女は「私が支えますから今まで通り続けてください」と発言し、実際しっかりと支えてくれた。そのことがあるので、今回の発言も私のことを本当に気遣うと同時に一体感を感じての発言だと感謝している。

 

 ところで私はすべての忘年会、あるいは食事会を否定するつもりはない。例えば「リレーフォーライフ」「生と死を考える会」などは参加の方向で考えることがある。これは普段なかなか会えない人たちなので、たまにはあってじっくり話がしたいという思いがある。その際、「時間帯によっては食事を伴うこともある」と考えるようにしている。

 

 生と死を考える会の忘年会だが、以前、主催者は基本的な料理のみを準備し、足らない部分は各自がその場で注文するという形式で開催されたことがある。会の性格上、あまり食べられない人、食事制限を受けている人が居り、その人たちも参加しやすいようにという配慮が感じられ、意気に感じての参加となった。

 

 職場だと、毎日のように顔を合わせているので、何も勤務時間外に食事をしながら会話をしなくてもという思いがある。会議あるいはミーティングで活発に話し合いをしていれば、いわゆる風通しの良い職場にしていれば、盛大な忘年会をしなくてもと思う。せいぜいささやかな茶話会でよいのでは。それなら私も参加の余地がある。

 

 先日、テレビの番組で「働き方改革」について解説していた。「もはや終身雇用あるいは年功序列というものは不可能なので、いかに現在の職場以外にも人脈・つながりを持っていくかが大切。副業について考えるのもよい」という趣旨のことを告げていた。まさにそうではないか。時間外は家庭のこと、趣味のこと、いろいろやりたいこと、やらねばならないことがある。

 

 もちろん今の職場、仕事を大切にしつつ、時間外ではほかの価値観に接することが大切。特に福祉の世界では「同じ職場にいるとそこでしか通用しない考え方になりやすい」と言われる。

 

 福祉の世界は人と人とが接する職場。多様な価値観に接し、人としての力を総合的につけることが良い仕事につながると思う。また、職場の職員とは「勤務時間内だけの付き合い」と割り切って付き合った方が良い人間関係が築ける場合もあると思う。

 

 単なる逃げ口上、愚痴と受け取られないよう、着実に仕事をすると同時に、年末年始の休みを充実したものにするよう、考えておきたいと思う。