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postheadericon アイフェスタ記念講演会より(2017年11月23日) 

2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

    アイフェスタ記念講演会より(2017年11月23日)   皿海 英幸

 へー、全盲の弁護士の講演か。私は最初に弁護士になった方竹下義樹さんなら知っているぞ。何しろ竹下さんが主宰する「京都てんとう虫マラソン」に十回以上参加しているのだから。でも何かひかれるものがあるので行ってみよう。

 ということで十一月十九日、福山市市民▽センターで開催された大胡田誠弁護士の「私が弁護士になった理由」がテーマの講演会を聞きに行った。それでは印象に残ったところを私流に記してみたい。


 私は弁護士になって十年です。弁護士にもいろいろ分類があるが私は「町弁」です。一般市民の相談相手であり、身近なけれどその人の人生を左右する問題、また障がいに関するトラブルなどを主に担当しています。

 依頼人は絶体絶命の時に弁護士事務所に来られることが多いのです。私が担当になると「全盲で本当に弁護できるのですか」と聞かれますが、私は人と人との関係は鏡写しのようなものだと思っています。

 自分が変に構えていると相手も心を閉ざす。まず自分が相手を理解しょうとすることが大切。信頼しようとし、好きになろうとする。こう考えると初対面の人と会うのが楽になりました。相手も私を信頼し、理解しようとする。

 家庭のことを話してみます。私には全盲の妻と子ども二人がいます。子どもに障がいはありません。子どもが生まれた時、「お父ちゃん、しっかりしなさい。しっかりしないと私、大きくなれない」と言われたような気がしました。

 子供にスプーンでおかゆを食べさせるのには苦労しました。口の位置がわからないので違うところにスプーンをもっていくことがあるのです。「これでは食べられない」と思ったのか、そのうち子どもの方から口をスプーンに近づけてくるようになりました。

 口の中が空っぽになったときに近づけなければ食べてもらえません。そのうち声を出して教えてくれるようになりました。親子での連係プレイですね。これを繰り返しているうち、自信がついてきたような気がしました。

 ある時、妻が甘酸っぱい料理を出したことがありました。妻も視覚障がいがあります。豚キムチを作ろうと思い、キムチではなくブルーベリージャムのビンを取り出しました。後で気づいた妻はキムチを追加したのです。

 次に生い立ちの話です。小学六年の時、0.1あった視力がどんどん低下し、明暗の区別ができなくなりました。本は読めないし、外出も自由にはできません。友達はそんな私をどう思っているのか気になります。

 全盲になり盲学校に行くことになりました。中学校二年の夏休み、竹下義樹さんの「ぶつかって、ぶつかって」という本を読み感激しました。目が見えなくても弁護士になれるのだ。弁護士になれば誰かの役に立つことができるのではないか。その竹下さんは今私の上司です。よく叱られます。

 大学受験、点字の参考書や問題集はなく大変でした。また、点字で受験できる大学も少なかったです。慶応大学に合格することはできましたが、下宿探しは大変でした。全盲だというと、不動産屋は物件を紹介してくれません。「ごめんね」と言い涙を流す母。

 授業中、先生に呼ばれ「点字を打つ音がうるさいという苦情があるので、端の方に移動してくれ」問われました。それをきっかけに授業そっちのけで討論会になりました。「同じ学生じゃあないか。どこで受けてもいいはずだ」「うるさいと思う人が移動すればいい」誰かが手を差し伸べてくれるとどんなに勇気がわいてくるか。

 大学四年生から司法試験を受けるようになりました。五回目の試験で合格しました。受験生活は長かったですが、夢、目標を持つことが大切と感じました。「もうだめだ」と思ったら、夢がかなう一歩手前まで来ているのだと思えばよい。私の趣味は海外旅行です。海外に出ると日本のことがよくわかる気がします。日本は建物・歩道等環境面ではバリアフリーが進んでいます。でも心のバリアは欧米の方が低いようです。心のバリアが早くなくなればと思います。障がい者差別解消法ですが、①不当な差別的取り扱いの禁止②合理的配慮の二本柱でできています。

 バリアフリーとは不特定多数の人が対象であり、社会の最低基準を作り、全体を底上げしようというもの。

 心はいったいどこにあるのか。「あなたが誰かのことを考えた時、あなたと相手との間に心は存在する」ある精神科医の言葉です。