2009メインメニュー

postheadericon 「在宅緩和ケア講演会」より(2017年09月11日)

2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

     「在宅緩和ケア講演会」より(2017年09月11日)  皿海 英幸

 「あれでよかったのかな」七月下旬、父を亡くした私だが、終末期に、医師による新たな治療法の提案を断っただけに少し迷いはあった。私自身がんになり五年生存率の告知を受け、ターミナル医療について学習したはずなのに、対象者が家族だと戸惑いを感じた。そんな時目にしたチラシ、「在宅緩和ケア講演会」、講師は「病院で死ぬということ」の作者としても有名な山崎章郎氏。「よし、参加しよう」

 九月九日国際会議場ひまわりに到着。講演は十四時~十六時の予定。

 「病院で亡くなられた方と溺死された方、身体の状態が似通っている人が多いのですよ。亡くなる前には体の機能が落ちてきます。だけど入院していると何らかの治療をせざるを得ない。そこで絶え間なく点滴を行う。だけど取り入れた水分を体は処理できない。結果として水浸しのような体になっていく。本人はつらいだけです」山崎氏の話。そうだよな。父も「口から食べられないから点滴を」と言われたが、だんだん身体がむくんできていた。主治医は「点滴はスポーツドリンクを薄めたようなもの。十分な栄養補給とは言えません」と説明していた。それにより、身体が水浸しになるとまでは考えなかったな。

 それではいつものように講演の中で印象的だったところを私流に記してみる。


 医療の世界では二〇二五年問題というのがある。二〇一四年、年間死者数127万人から二〇二五年、年間死者数153万人へと多死社会となる。こうなると死に場所がないのではないか。病院のベッド数を増やしても、団塊の世代が無くなれば不要となる。次の世代へ不要なものを残すのか、負担を強いるのか。そこで病院から在宅へとなる。

 また、救急体制が崩壊する恐れがある。身体の不自由な高齢者が増え、救急車で搬送を求める機会が増える。病院で救命処置となるが、本人にとっては苦しいだけとなる。

 現在、日本人の二人に一人ががんになり、三人に一人ががんで死亡しているが、今後は二人に一人ががんで死亡すると予測されている。がんで死ぬのは特別なことではなく、ありふれたこと。がんとどう向き合うかが問われる。

 ところで「病院で死ぬ」ということだが、1990年代では*苦痛の緩和が不十分 *病名・病状はほとんどの場合偽りの説明を受ける *亡くなるまで過剰な治療を受け、臨終時には蘇生術を受け、旅立っていった。*人間らしい終末期とは言えなかった。そこで一般病院の終末期医療に疑問を感じた人々がホスピスケアに希望を見出した。

 だけど、「ホスピスでケアを受けることができてよかった。でも本音を言えば家にいたかった」そこで「ホスピスチームがホスピスで待っているのではなく、地域に出よう」と考えた。

 それでは「家で死ぬということ」はどういうことか。*何時でも主人公(自由である) *過剰医療が避けられる(自然経過としての死)入院していれば何らかの医療行為をせざるを得ない *苦痛が軽減する(住み慣れた環境、家族、ペットなど)病院はホームではなくアウェー *変化する家族の力 本人の思いにそってみとったという達成感

 しかし、現在は高齢者だけの世帯も多く存在する。「一人残された私は誰が看取ってくれるのでしょう?」

 独居でも最期まで自宅で過ごせる条件①24時間対応の専門的医療・看護があること ②亡くなるまで、何らかの介護があること *訪問介護(介護保険)*家族親戚 *知人・友人 *ボランティア *自費ヘルパー ③費用負担 民間がん保険 在宅緩和ケア給付金

 ケアタウン小平チーム(院長山崎氏)が目指すことは最期まで住みたいコミュニティを創ること。それは、たとえがんの末期であったとしても、認知症であったとしても、最期まで人権を守られ、尊厳と自立(自律)をもって人間らしく暮らせることを補償するコミュニティである。


 私の父も「帰りたい」とよく言っていた。だけど、昼間は父と母だけになる状況を考えた時、不安が大きい。そこで「正月とかゴールデンウィーク等私が休みの時ならいいよ」と言うしかなかった。実際正月に帰宅した際には私が昼夜つきっきりで世話をした。「ケアタウン小平チーム」のように地域に出かけるホスピスが府中市等地方においても普及することを望むばかりだ。