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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

  一カ月を振り返る(2017年8月17日)  皿海 英幸

 父が亡くなって初めての盆。でも満中陰の法要を済ませていないので初盆とは言わないようだ。ただし、「忌中」そして「喪中」ではある。まず、これらの言葉について、辞書あるいはインターネットで調べてみて、順当なところを記してみよう。

 「忌中」個人のために祈りをささげる期間。神社などではこの間は、死の穢れが身についていると考えられ、かつては外部との接触を避けていた。

 「喪中」故人をしのぶ期間で、この期間は慶事を執り行ったり参加したりすることを控える。
  ただし、「忌中」「喪中」も以前は法律で期間が定められていたが、今は廃止されている。このことからもわかるように基本的には自分で期間、内容をどうするかを判断すればよい。仏教では「死」を穢れととらえないので忌中、喪中という考え方をしない。

 父は七月十八日に亡くなった。医師が提案した新たな治療法を断っていたので、この決断が本当に良い選択であったか、尾を引くかと思っていた。だけど、知り合いであり某市民病院ホスピス担当医が「高齢であり、持病をお持ちのお父様にはあまり余計なことをせず、穏やかに最期を迎えられたのはとてもよかったと思います」というメールをいただき、ほっとする。

 この医師は以前「スパゲティ症候群、周りの人は『少しでも長く生きて』という思いでしょうが、本人はとてもつらい。なるべく自然な方が本人は穏やかに死を迎えられる」というメールをくださったことがあり、「延命治療」を考える上でずいぶん参考になった。

 葬儀は家族葬とした。そこで葬儀社は「府中だと、『後で知ったから』と、香典持参の弔問客がぽろぽろ訪れるので香典返しは準備しておいた方が良い」とアドバイスされ、一箱(五十個)注文したが、ほとんど使っていない。この地方でも「家族葬」の意義、やり方が定着してきたのかもしれない。

 金融機関は故人の通帳はすぐに凍結するという。父の通帳で支払っていた公共料金や、予定されている入金をどうすればよいのか。私の通帳からできるのか問い合わせる。「まずは遺言書があるかどうか調べてください。あればこちらに持参してください」「遺言書があっても、すぐ開封とはいかないですよね」「そうです。家庭裁判所に届けての開封となります。それから、手続きを進めるためにはこのような書類を作成していただきます」「そうなのですか。喪中とはいえ、色々忙しいですね。故人をしのんでいる時間が無くなりますよ」

 結局、父は公正証書による遺言を作成していた。そのことを伝えると「公正証書ならまず大丈夫。手続きをしますよ」と言われ、思ったより早く手続きが終了した。

 法務局に父の遺した土地のことで問い合わせをしたが、こちらも「公正証書による遺言書があるのなら大丈夫ですよ」と言われた。「遺言書は大切だな」と改めて思った。ただし、必要書類の作成は我が家で。

 職場だが、曜日の関係もあり、三日間お休みをいただき、四日目には復帰した。職員・利用者に迷惑をかけたくないという思いとできるだけいつもの生活リズムに早く戻した方が体調を整えるのによいのではと思ったから。それと、今年度から定年となった妻がずいぶん動いてくれているので助かっているのも影響している。

 「私、数年前に母を亡くしています。葬儀や法事も経験していますので、何でも聞いて下さい」という職員Mさん。「ありがとうございます。でも、親戚でも町内の人でもないあなたに相談するのはどうだろう」と応えてしまった。

 実際には時々声をかけて相談している。喪中だからこそ、寂しくて人恋しくなる時がある。そんな時、「親を亡くした」という共通の基盤がある人と話ができるとホッとする。ありがたい存在だ。

 最近は医療や福祉の制度が整っているからか、自宅で長いこと面倒を見て看取るということはほとんどない。そのためかあるいはまだ気が張っているのか、喪失感が思ったほどわいてこない。そういえば「母を呼べば、どこかで返事をしてくれそうな気がする」とMさんも言っていた。そんなものかもしれない。

 一カ月を振り返っていると「喪中とはいえ、今回の体験を生かすためにも、がんや、終末期医療について、もっと学習しておきたい」という思いを強くした。そしてがんに関する行事、今まで以上積極的に取り組みたい。