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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

    父の入院(2017年7月28日)     皿海 英幸

 「先生、高齢者が肺炎になると命にかかわる場合もあると言われていますが、どうなのでしょうか」
「そこまで重篤ではありませんよ」確かに入院診療計画書には「入院期間二週間程度」と記されている。

 五月十二日、父は誤嚥性肺炎の治療を受けるため、府中市民病院に入院した。数日前、右膝のお皿を割ったので、右足にはギブス。リハビリということで毎日のように歩行器を使って歩いていたのが、ベッドに寝たままの生活を余儀なくされ、窮屈だろうなと感じた。

 もちろん意識は正常なので、面会時にはいろいろ話をした。「早く退院したい」と言っていた。

 状態が良いので、少し口から食べ物を入れようとすると誤嚥するのか熱が出る。そこで口からの栄養はお休みし、点滴に戻す。このことの繰り返し。こうした状態は、昨年六月、転倒し「腰が痛い」と言って入院した時とよく似ている。

 六月八日、医師との話し合い。「嚥下機能が低下しており、口からの食事ができない状態が続いている。末梢からの点滴が困難になっている。そこで今後は太い血管(中心静脈)からの点滴をやりたい。延命治療をどこまでするかということを考えていてほしい」といった内容。「重篤ではありません」とは全く違う状況へと移っている。

 太い血管を使っての点滴には同意するが、「胃瘻・延命治療については希望していない」ことを伝える。同時に父は「多発性骨髄腫」の治療をしているが、「風邪、あるいは肺炎を起こすと急激に悪化することがあると聞いているので、そちらはどうなっているか調べてほしい」とお願いする。

 同時に「こういう状態で推移するようだと、『三カ月たったので、退院してください』と言われても困ります。自宅あるいは福祉施設で世話するのは困難と思いますが」と問う。「入院期間は短くというのが病院の方針ではありますが、状態によります。この状態だと病院で見させてもらいます」と応じられた。しばらくすると「落ち着いてきた」ということで、急性期病棟から、退院準備のための病棟へと移動。ただし、落ち着いてきたと言っても「余命六カ月程度かな」という状態。

 しばらくは落ち着いていたかに見える父の状態だったが、六月二十九日、またもや医師との話し合い。
「肺炎については改善しています。だけど、点滴だけでは栄養が足りず、栄養障害が進行しています。そのため胸水がたまり、酸素濃度が低下しています。今後の栄養管理は鼻から胃への管による栄養管理を提案します」というもの。

 「最近、話ができない状態ですが、栄養障害によるものでしょうか?」「頭のCTによると海馬と前頭葉に委縮が見られます。栄養障害と委縮によるものでしょう。意識の改善はあまり期待できません」

 即答できないので、持ち帰り関係者と話し合う。「自分だったら意識が回復しないのなら、管を入れたり手術をしたりという治療は断りたいな」「医師は『延命治療ではない』といっても、意識が戻らないのなら患者家族としては延命治療と考えるよ」「でも、何もしなければ栄養が足らず、一~二カ月の命と言われた時、管を入れてくださいと言わざるを得ないよ」「管を入れたとしても、一カ月も寝たきり同然の高齢者。胃や腸がちゃんと消化吸収するのだろうか」妻や姉の意見を聞いて考えるがつらい選択。日ごろ、「生と死を考える会」「生きがい療法」等でターミナルケア・ホスピスといったものの学習会に参加している私だが、自分の家族となるとなかなか決断できない。

 七月三日、返事をしなければいけないので病院に行く。病棟で前回入院時、父のリハビリでお世話になった先生に会う。「お父さんの状態、良くないようですね」「ええ、そうなのです。今日は返事をしなければならないのですがなかなか難しいです」といい、事情を話す。「いろいろ考えてみたが、決めかねていますという返事もありと私は思います。今の思いを素直に話してみてはいかがでしょうか」と言われ、気持ちが楽になる。その後、医師と会い話し合いをするが、状況は変わっていた。「管を入れると言っても、本人の状況が安定しているときでないと入れることができません。今はその状態とは思えません。もし、入れるチャンスがあれば入れてみるということになります。挿入し、二日くらいで効果があるかどうかはわかります。効果が無いようなら三日目くらいには外すことになるでしょう」「わかりました。もしチャンスがあったら挿入するということでよろしくお願いします」「明日、他の医師も含め、お父さんのカンファレンスがありますので、総合的に判断させてもらいます」

 翌日の夕方、久しぶりにジョグを楽しむ。突然後ろからクラクション。振り向けば妻の車。「病院から呼び出し電話があった。急いでいるようなので車で帰宅し、着替えたら病院に行きましょう」「わかった、でも急ぎの話とは何かな」

 「今、主治医は忙しいので私が説明します」と言われ、別の内科医により説明が始まる。主治医もすぐに入室したが、隅に着席し、説明者は変わらず。「もしかしてカンファレンスで何かあったか」と思わせる。

 内容としては、「肺に水がたまり、呼吸が苦しい状態、心臓も正しく動いておらず不整脈あり。栄養状態も悪い。それに多発性骨髄腫があり免疫力も低下している。急性期病棟に移動させ、積極的治療を行わないと二~三週間の命。これからするのは延命治療ではない」という説明。押しが強いというか有無を言わさない雰囲気の先生だなと感じる。「家に持ちかえり、考えてもかまいません。返事は明日の午前中」ということになった。

 「延命処置はしない。管を入れるに際し、これ以上新たな治療はしない」と決めてはいたが、余命宣告がみるみる短くなると、肉親としては気持ちが揺れる。姉は「どちらに決めても悔いが残るかもしれないが、一番近くで見ているあなたに任せます。苦しいとは思うけれど決断してください」

 念のため、知り合いの医師に意見を求める。「お父さんの年齢、多発性骨髄腫等を考えた場合、どんな治療をしても効果は一時的なものです。人には寿命があります。あなたや姉さんがどういう形にすれば気持ちの整理がしやすいかということで考えざるを得ないのでは。医師がどういう説明をされても主導権はあなたにあるということを忘れないでください」という内容。

 翌日、病院に電話。「昨日提示された新たな治療法は辞退します。今の病棟でできることをお願いします。その結果、二週間で亡くなったとしても受け入れます」

 本来ならば、医師に直接お会いして返事をすべきなのだろうが、突然午前中に休みを取るということは私の職場では難しい。

 こういう答え方をした以上、よほどのことがない限り、毎日病院へ顔を出す。

 八日、病院に行く。私を見つけた主治医が駆け寄り話しかける。「痰を培養したら、菌が見つかったので、今日からは抗生物質を点滴でいれています」「毎日のように来ていますが、あまり変わりがないように見えます。本当にあと数週間の命でしょうか」「尿の量が減っています。血圧も下がり気味です。順調ではありません」「最近拘束用の手袋を外してあるようですが」「手袋を外しても、点滴に触る元気もないようです」うーん、ちょっと心配。

 九日、埼玉から私の姪、父にとり孫が「生きているうちにぜひ会っておきたい」とお見舞いにやってきた。「お爺ちゃん、わかる?私、○○よ。小さいとき、色々なところへ連れて行ってくれたね。ありがとう」いつもは「はい」と返事をするだけで、以後は言葉を発することもなく、会話が成立しない。だけど今回は違った。「○▽*@+…」聞き取れないが、父は一生懸命しゃべっている。もしや孫が来たとわかったのか、そしてこれが最後の別れになると悟ったのか。胸がジーンとくる。

 「お爺ちゃん、いつもしゃべらないのなら、一杯しゃべって疲れるかもしれない。このあたりで失礼しましょうか」余韻に浸ろうとする私に姪が話しかける。姪の方が冷静だな。

 余命宣告、五年生存率の数字をいただきながらも十一年生き抜いた私の父だ。きっと医師の見立てより長く生きるのではと思わずにはいられない。気持ちの整理をしつつ、でも小さな希望も忘れることなく、病院通い、続けたい。