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postheadericon 名残雪より(2017年7月9日)

2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

  名残雪より(2017年7月9日)   皿海 英幸

 

 「うーん、歌詞に『季節外れの』とあるが、六月に名残雪でいいのかなあ」六月十七日「すばるを後援する会総会」後のコンサートで私たちの施設「わかば」は利用者による話し合いで「名残雪」を合唱することとなった。

 

 決まった以上、職員は率先して練習しなければならない。「名残雪」という題名、イルカという歌手が歌っているということは知っていたが、歌ったことはほとんどない。パソコンのインターネットを使い、毎朝練習した。知らない歌でも呼吸法と割り切れば大きな声で歌うことができる。

 

 とはいえ、練習するにつけ、歌詞の中にしっくりこない部分がある。まずはこの歌の舞台(場所)はどこなのか。「東京で見る雪はこれが最後」という歌詞があるので素直に解釈すれば東京の駅ということであろうが、歌っているとなぜか地方都市のイメージが浮かぶ。

 

 また、「春になり、君はきれいになった」という歌詞が繰り返されているので大切な部分だろうと思うが、ここの部分がすんなりと受け止められない。なぜ、春になったらきれいになったのか? 人を好きになるということはその人の人柄を丸ごと認めるということであり、きれいか不細工かということにどれほど意味があるのか。条件闘争ではないはずだ。

 

 「えっ!皿海さんそんなことも知らないのですか!」この人ならと思い、同僚Sさんに「『春になりきれいになった』とはどういうことですか」と聞くと返ってきた言葉。普段は私のことを「尊敬する先輩」「頼りがいある先輩」と言っているのに同じ口から出た言葉とは思えない。ショック。

 

 もちろんそのあとで丁寧に歌詞の世界を説明してくれたSさん。だけど、最初の言葉で頭に血が上ったのか説明をほとんど理解できなかった。

そして「名残雪が流行った年代、イルカさんの年齢、私より皿海さんの方がずいぶん近いですよ」追い打ちだ。

 

 でも、ちょっと言わせてほしい。私の青春時代、フォークソングといえば反戦平和あるいは反差別といった内容であり、政治的メッセージの強い歌だった。いつしか私生活・恋愛感情を歌った歌もフォークソングと呼ばれるようになったが、それらは「四畳半フォーク」と呼ばれていて一部の人・お宅が楽しむジャンルだった。四畳半フォークの代表的な曲がかぐや姫の「神田川」だから、私に言わせれば「名残雪」を知らなくても当時の者から言えば特にどうこう言うものではなかったはずなのだが。

 

 人に聞くわけにはいかなくなったので、インターネットで調べる。まず舞台(場所)だが、歌詞からすれば東京の駅、それもホームにいて雪が見える小さな駅となる。だけど、作詞の伊勢正三さんは故郷大分県の津久見駅をモチーフに記したという。そして大林監督は、大分県臼杵市でロケをして「名残雪」という名の映画を作成した。映画の中で「名残雪」が流れるシーンあり。歌いながら地方都市をイメージする私の感性が誤りとは言えないのでは。

 

 「春になり、君はきれいになった」の部分だが、私は「春になり」を季節としての春をイメージしていた。だから「きれいになった」を繰り返す歌詞に違和感があった。初対面ならいざ知らず、付き合っている彼女の外見を取り上げてどうするという思いだ。

 

 だけど「人生の春」ととらえた場合、婚約あるいは結婚するため旅立つ彼女のための精いっぱいの祝いのメッセージとなり、今まで付き合ってくれてありがとうという感謝の言葉となる。Sさんは以前「結婚して一緒に暮らしていると夫婦の顔は似てくるのですね」と教えてくれたことがある。私もそう思う。好き合った相手と結ばれ、充実した生活をしていればお互い内面も外見も魅力的になる。「春が来て君はきれいになった」と表現してもおかしくはない。うん、そう考えれば歌のイメージが少し変わったぞ。

 

 ところでSさん、お願いがあります。順番を変え、私の質問に対する説明をまず行い、そのあとで「そんなことも知らないのですか!」と言ってもらえれば貴女の説明も思いもすべて素直に受け入れることができたのではと思います。コミュニケーションの技法としてその方が良いのでは。

 

 あっ!もしかして「そんなことも知らないのですか」という発言、「尊敬する先輩だからこそ、知っていてほしかった」あるいは「今更私に聞かなくてももっと早く自分で調べていてほしかった」という思いか。結構期待値が高いのですね。Sさんこれからもよろしく。あなたの期待に応えられる私でいたいです。