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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

     バザーへの思い(2017年6月7日)   皿海英幸

 「うーん、それはちょっと心配ですね」六月四日はリフレでボランティア連絡協議会主催のバザーが開催される。私の職場「わかば」も参加する。そこで一職員が旬の野菜を仕入れて売ろうと提案し、地元の農家に交渉してみた。「アスパラと小菊なのですが、まだ夜間の気温が低いので、例年より育ちが良くない。六月四日に間に合えばわかばに出荷するがもうしばらく様子を見ないとどうとも言えないと言われました」

 しばらくすると「アスパラは三十束出荷できそうです。百グラムで○○円です」そうか、スーパーの店頭では九州産だが、一束百八十円~百九十円で売っている。二百円を超えては売れないだろうな。バザーというと、お客は「何か安いものはないか、珍しいものは」という思いで来るのがほとんどと考える。スーパーより高いものは果たして売れるか。知り合いが付き合いと思って購入する場合があるだろうが、それだと数が知れているし、申し訳ない気もする。売値をいくらにするか。難しい選択だが、結局二百三十円となった。

 新聞に「夜間温度が低いので、広島県のアスパラは現在不出来である」という記事が掲載された。これを読んだ人が、「えっ、ここには地元産のアスパラがあるぞ」と思い、少し高くても喜んで購入してくださればいいのだが。

 バザー前日、野菜を売ろうと提案した同僚が私に話しかけた。「プルーンやレーズンといった乾物だけの販売ではわかばのブースを通り過ぎる人がいるのではと思います。でも、旬の野菜があれば買う・買わないはともかく、足を止めて見ていただける人がいるのではと思い提案しました。見ていただければ会話ができますから、そこでわかばのこと、障害のことを伝えることができるかもしれません。

 また、丹精込めて育てた野菜を『あなたが言うのなら、そちらに出荷しよう』と言ってくださる農家の方。間接的ですがわかばとのつながりということを感じることができます。私はそうした人と人とのつながりを大切にしたのです。

 アスパラがスーパーでの売値と比べ、高い・安いという観点のみの話になるのは違和感があります。高いと言われれば、それこそ『じゃあ、私が意地でも売ってみようか』と思います。」

 「ごめん。私もスーパーより高くて売れるだろうかと心配していた。あなたの思いは大切です。私は話を聞いて共感しました。ただ、職員の中には冷静に『この値段で売れるだろうか。売り上げがいくらで、収益がいくら』と考えている人も必要でしょう」
 「ありがとうございます。つまらない愚痴を話してごめんなさい」

 「いえ、貴女の本音を聞かせてもらってありがとう。仮に愚痴だとしても、聞いてもらえる人がいるということは大切。いつまでも自分の中にため込むことは良くない。私もあなたには弱音を吐いたり、甘えてみたり。お互いさまであり、いい関係だと思います」

 ところで私は残念ながら、バザー当日担当職員から外れている。以前は参加する利用者を選ぶ際、「就職希望、それも接客業関係の人を優先的に」とか、「将来カフェを出したいという希望があるので、それを意識しての選択」という目安があったが、最近は先着順のようになってきた。目標が明確でないので私はバザーに消極的。せっかくの休日を優先したい。ただ、例年のことだが、ボランティアとして、ごみ箱のごみがあふれないよう、ごみの収集は行っている。

 さて、当日。アスパラは二百円以上の場合、一束買おうと思っていたが、彼女の話を聞かせてもらったので、二束とした。それに妻が実家の仏さん参りに行くというので小菊二束を購入。

 そして、身体障害者協会が行っているマッサージを受けた。椅子に座り、首筋や肩、腕を中心にマッサージをしていただける。普段は、マッサージなどしてもらわない私。だけど、いつも軽スポーツを行う際、グランドゴルフ、フライングディスク等道具を無料で借りている。ここはマッサージを受けなくちゃ。もんでもらうときは痛いくらいだが、終わるとすっきり。

 マッサージを受けることも、彼女が言うところの人と人とのつながりを大切にすることなのだろうと思う。

 彼女とは、もっと意見交換を密にし、機会があればバザーでも協力しながら旬の野菜を取り扱うことを通し、来客と障害に関心を持ってもらうきっかけとなるような接し方をしてみたいと思う。