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postheadericon 父よ、再起だ(2017年5月24日)

2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

     父よ、再起だ(2017年5月24日)   皿海英幸

 「今の時間に誰だろう」ケータイの着メロが鳴る。職場なので、周りを気にしながら出る。父がお世話になっているデイサービスの施設からだ。父が明け方、ベッドからポータブルトイレに移ろうとし、転倒したという。しばらく様子を見たが、痛みがあるので病院で受診するという知らせ。五月九日の朝だ。

 日中、調子のよいときは自分でトイレに座ってもいいが、立ち上がるときは職員さんを呼んでから。夜間にトイレへ行きたいときは必ず職員さんを呼ぶということになっていた。だけど、何回も呼ぶのは申し訳ないと思い時々一人で済ませようということがあったようだ。

 十四時の休憩に施設に電話をする。「今帰ったところです」予約なしの受診なので時間がかかったようだ。結果は左足膝蓋骨が割れているということ。約一カ月の治療が必要。

 十六時過ぎに仕事を終え、市民病院へ。保険証の確認や支払いを済ませる。そして施設へ。父は久しぶりの病院でくたびれたのかよく寝ている。職員さんが謝られ、病院で言われたことの説明をされた。

 五月十二日。またしても職場でケータイが鳴る。妻からだ。施設から電話があり、父の熱があれ以来三十八度を下がらないので再度市民病院を受診しようと思うと施設から連絡あり。その際、今まで持病があり、内科を定期的に受診していたが、内科にしようか、整形外科にしようか。私が予約をしに行こうと思うという内容。

 病院へ行き、実情を話したうえで相談に乗ってもらえばよいのではとアドバイス。私も早く市民病院に駆けつければいいのであろうが、今日はリ・フレのワックス清掃の日。個人的な事情で日程変更するわけにはいかない。午後は午後で、「子どもの調子が悪いので病院に連れていきたい」といい、有休をとられた職員がいる。もうこれ以上職員数が減っては差しさわりがある。ここはぐっと我慢で定時まで頑張ろう。父も、子どもさんも大ごとでなければいいのだが。

 十五時頃、妻から電話あり。「父は、誤嚥性肺炎ということで入院。二カ月くらいらしい。今日は病室が空いてないので、個室となった」定時を待つようにして病院へ。酸素吸入をして苦しそうな息をしている。たまたま今回の主治医に会えた。「高齢者が肺炎になると、こじらせて危ないと言いますよね」と尋ねる。「いや。そこまで重篤ではない。治るでしょう」と言われ、ほっとする。

 翌日見舞いに行く。痰が絡んで苦しそうな息をしている。看護師さんに痰の吸引をしてもらうとそれも苦しそう。私もがんの手術をして二年後だろうか、やはり誤嚥性肺炎を起こし、二週間入院したことがある。当時を思い出しながら父を見つめている自分を感じる。

 十四日(日)入院に必要な書類を持参し、看護師さんに確認してもらう。熱は下がっているので氷枕はない。ただ、点滴の管を引きぬいたので、足からの点滴となっていた。こういうところは元気がいい。

 以前入院した時、「高齢者が入院すると、認知症が一気に進みやすい。何かあっても困るので、夜間は家族が付き添ってください」と言われ、仕事が終わると食事を済ませ、病室で寝泊まりしていたことがある。今回もそれを言われなければいいのだが。それがあると体力的にかなりきつい。

 十七日(水)父は、個室から四人部屋へ移動していた。酸素吸入も五から三へ。ただ、仕事を終えていくと、いつも傾眠状態が続いている。話ができない。ただ、病室を変わったのは良くなってきたということだろう。

 十八日(木)市民病院から電話。「尿取りパットが無くなりました」定時後、急いでドラッグストアーで購入し、持参。「なくなりました」ではなく「なくなりそうです」と連絡してもらえたら慌てなくて済むと思う。

 二〇日(土)親戚の法事終了後、一休みしてお見舞いに。今日も傾眠状態。でも酸素マスクを外している。「夕ご飯から少し食べてもらいます」と看護師さん。良くなっているということだろう。

 よし、明日は予定通り福山のばら祭りに行き、乳がん患者会「福山アンダンテ」のブースでがんの啓発活動を行うことにしよう。気分転換と同時に元気をたくさんいただいて帰る。父よ、肺炎を乗り越え、再起だぞ。