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postheadericon まだ、大丈夫だよね(2017年04月24日)

2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

    まだ、大丈夫だよね(2017年04月24日)   皿海英幸

 「皿海さんは四月生まれですよね。音楽療法の先生が『リクエスト曲を聞いて下さい』と言われていましたよ」と同僚がたずねる。「えー、私は四月生まれだけれど、そっとしておいてほしいのですよ。今年の誕生日で六十四歳、定年を意識せざるを得ないじゃあないですか。でも一人だけ和を乱してもいけないですね。都はるみの『夫婦坂』でお願いします」三月末の出来事。

 職場で音楽療法の日がやってきた。利用者も職員もみな楽しそうに音楽や会話を楽しんでいる。私は同僚に一言告げると施設の裏で清掃用ぞうきん・モップの洗濯を行う。いよいよ音楽療法名物誕生日会の時間がやってきた。「今年度は今までのようにカードをプレゼントするのはお休みにして、誕生月の人のリクエスト曲をピアノ演奏することにしました」音楽療法士が説明した。

 四月生まれは四人いたが、いよいよ私の順番となった。「皿海さんのリクエストは「夫婦坂」です。皿海さん、歌いますか」

「いえ、素面では歌えません。でも、カラオケをするとき、いつも最後はこの曲にしています」

「この曲を選んだ理由はありますか」

「六月の花嫁なのに、ちっとも幸せになれない妻に捧げるつもりで選びました」

「良いお話、ありがとうございます」

 妻は公務員なので定年は六十歳。「定年になったらゆっくりするかな。それとも趣味の組み紐でも楽しむかな」と私は声をかけていた。だけど、定年を待っていたかのように私の両親、妻の両親ともに体調を崩し、介護に明け暮れる毎日。年齢が九十歳前後なので致し方ないともいえるのだが。そしてわが子は心の病で母親としてはなかなか心休まるときがない。

 自分の身内の世話ができるのは幸せととらえる向きもあるかと思うが、毎日続くとなると心身ともにへとへと。特に昨年、今年と妻の両親が亡くなられただけに、落胆は大きいと思う。

 そういう状況にあって、私は十二年前にうつ病を患ったことがある。そして十一年前にはスキルス胃がんで余命宣告を受けた。どんな時でも「父さんは無理をしてはダメ。生きているだけでも大変な人、価値のある人なのだから」と気遣う妻。その妻への申し訳ない気持ちが「夫婦坂」を歌わすのであろう。

 さて、音楽療法があった翌週の日曜日、旅行社の広告を見ながら妻が言う。「私たち、新婚旅行は北海道だったね。でもまだ行っていないところがあるから北海道旅行したいよね。一緒に行こうよ」

「いいなあ、北の方は行っていないから宗谷岬、あるいは利尻・礼文島かな」「南なら函館、五稜郭もいいね」「定年退職したらゆっくり行こうか?」「ううん、定年退職の頃、休暇を取っていこうよ」

「休暇を取るということは、定年になっても退職せずに働けということか?」

「そう、父さんは家にじっとしているより、リフレの清掃をしている方が似合うと思うよ。それにかわいい後輩ができたのでしょう」

「定年になったらFA宣言をしようと思うけど、宣言して残留ということで考えてみよう」

 良かった。特にとりえのない私は定年後に「ぬれ落ち葉」あるいは「定年後離婚」という言葉がよぎることがあるが、現状ではその心配をすることはないようだ。

 そして四月十八日、私の六十四歳の誕生日を迎える。夕食には刺身と私の大好きなタコたっぷりのヌタ。いいぞ。よし、本来あるべき胃・脾臓・胆のうのない私、気持ちで「老け込んだ」ら一気に体も老け込むだろう。ここは元気で充実した生活で六十五歳を迎えたい。フルマラソンだって出場したい。

 来年、リクエスト曲を聞かれたら「五木ひろし『オシドリ』でお願いします」と応えようかな。