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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

    肯定感について(2016年7月20日)   皿海英幸

 先日の女子会、とても楽しく充実していたように思います。そこで、参加された方の、フェイスブックやブログを探し、読んでみました。その中でTさんのブログ「楽しい方を選びましょっ♪」というのに出会い、ハッとしました。一部を引用します。

「肯定感を持つことが大切だって
肯定感は 上手くいっている 
成長できるという実感ではなく
上手くやろうとしている
成長している自分を
誰より自分が
認めてあげること
みんながんばってるもんね
自分にやさしく やさしく
してあげてくださいね」

 「これだ!」と思った。私の職場は主として精神障害者の方が利用している。コンプレックスを抱え、「できないのです」「ダメなのです」を口癖のように連発される人がいる。話を聞くと、「病気(障害)になる前は、いろいろできていました。今は何もできず、足手まとい。こんな自分が嫌なのです」

 「病気になる前の自分と比べてもしょうがないと思う。病気になってからの自分と比べたらどうだろう。少なくともここに通うようになってからは、できることが少しずつではあるが、確実に増えていると思うよ」と応じるのだが、すんなりとは認めてもらえない。

 「いえいえ、前は仕事も家事もできていました。今の私では就職も難しいでしょう」「自分自身が歯がゆい」

「障がいの受容」というが、なかなかこれは難しいものがある。

 気分転換ができず、自分の内面にコンプレックスがたまっていくと「こんな自分はいや。消えてなくなりたい」と思い出す人もいる。こういう人たちにどのように対応したらいいのか。自主学習をしたり、職員間で話し合ったりするのだが、相手も人間。「これだ」という決め手のようなものを見つけるのは難しい。

 だけど、Tさんのブログを読んでいて、ヒントを感じたような気がした。「ここに来はじめたころより、できることが増えているよ」というより、「障害という困難を抱えながらも、休まず通っている。当番の役割を担っている。その姿勢が評価に値するよ。前を向いて歩んでいるじゃあない」と言った方がわかりやすいかと思う。

 「できる、できない」よりも、その人の存在そのものを評価しているようで気持ちが良い。「コンプレックス」は、前を向いて歩きたいという思いのあかし。「もうどうでもいいや」という人にコンプレックスはないだろう。

 私も生きていれば失敗すれば悩むこともある。しばらく落ち込むこともある。そんな時でもがんに関する行事に行けば、「腹膜播種したスキルス胃がん。よく生きているね。あなたは生きているだけで価値がある。その上フルマラソン完走なんて、がん患者希望の星と言っても差し支えない」と言われればジーンとくる。たいていの落ち込みは立ち直ることができる。

 人は誰でもその姿勢を、存在そのものを評価されればうれしくなる。誰か一人でもいい、自分のことを分かってくれる人、わかろうとしてくれる人がいれば、最悪の事態は避けようとするだろう。生きる方向で考えるのではないか。

 Tさんのブログで表現されている言葉をもとに利用者と話し合ってみたい。そして、「自分にやさしく、やさしく」自分の心身を大切にしよう。自分を好きになろうよ。

 私自身、がんになり、手術を受けざるを得なかったことは残念でつらい出来事。でも、前を向いて生きていれば、今回女子会に招かれたように素敵な出会いがある。リレーフォーライフのように私を評価し、活動の場を与えてくださる人がある。がんや障害があっても素敵な出会いはあり、自分らしく生きることはできる。希望を持って歩き続けたい。いや、私の場合は走り続けたいかな。