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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

    今、強みについて考える(2016年6月6日)   皿海英幸

 福祉の世界ではストレングス(強み)という考え方が使われることが多い。要は、利用者と接するとき、欠点を探すのではなく「強み」の視点に立つこと。「be!123号で『強み』を見つける目から鱗の誌上講座」を読み、今まで私が思っていたのは「明白な強み」であり、大切なのは「隠れた強み」だと感じさせた。

 「明白な強み」とは計算が得意・資格や肩書があるなど、外から見えやすい長所や短所。「隠れた強み」とは周囲に評価されるかどうかにかかわりなく、その人自身が生きていく力になるもの。その人らしさだったり、生きる方向性だったり。それでは誌上講座に沿い、私のケースを考えてみたい。


 「好きなこと・得意なこと」得意なだけではなく、そのことが本当に好き、自分らしくいられるという行為の中には隠れた強みがある。


 まずはジョギングだろう。毎週四回以上は行っている。年齢、体力的なことがあり、大会に出ても入賞とはいかない。記録も年々少しずつではあるが落ちている。それでもジョグは好き。気分転換になり、すっきりする。

 「よく頑張っていますね」と声をかけられるが、ちょっと違う。好きだからジョグしているのであり、頑張っているという気はない。

 次にエッセイ。「上手ですね」と言われることもあるが、ちょっと違う。上手に記すという意識はほぼない。ただ、記していると、気持ちの整理ができる。書きたいこと、伝えたいことがあるから記す。「思いがよく伝わる文章ですね」と言われるとそれはうれしい。


 「当たり前の行動」日常のありふれたこと、ささやかなことの中に小さな幸せのタネ、生きていく力になることを見つける。自分が笑顔で過ごすことで、周囲も幸せにするかもしれない。


 私のエッセイを記すうえでのテーマに近いものを感じる。まずは早寝・早起きができるということ。これは自然の法則にのっとり、大切な行動様式と思っている。

 家族のために毎日朝食を準備している。ご飯を炊き、みそ汁を作るだけだが、楽しんで料理をする。その間妻は私の弁当を作ってくれる。夫婦の連係プレイ。

 そして、控えめに、目立たぬように誠実に生きてきたつもり。そのためか、消去法による人選となると、私が残るケースが今まで多かったように思う。学生時代は学級委員、クラブの部長。そして大学生のころは学友会(学生自治会)渉外部長を経て会長。本来なら強いリーダーシップを期待されるポストだが、いざこざがあり、すんなり決まらなかったり、誰も立候補者がいなかったりすると、最後に担ぎ出された。初めは戸惑い、不安が大きかったが、やり通すと充実感を感じ、得たものもある。


 「問題行動」の奥を探る 問題行動は困難な状況への「不器用な対処」そのように視点を変えることで、「本当はこう生きたい」「こうなりたい」という願いが見えてくる。新しい選択肢を切り拓く力だ。


 自分の問題行動というのはきちんと把握するのは難しいのではと思う。自己評価と他者による評価に差が出るのでは。そこで「問題行動」を「病気」と置き換えて考えてみたい。病気は人生を考える上でトラブルであることには間違いないと思う人が多いから。

 まず十一年前、私はうつ病を患った。一年ちょっと通院治療をした。これは普通に考えると問題だろう。だけど私の職場は主として精神障害者が利用する施設。同じ病気・同じ病院に通院した人がいる。この人たちと共感することができる。私に取り、強みと言えよう。

 スキルス胃がんになり、余命宣告、五年生存率という数字をいただいた。これも問題だろう。でももうすぐ術後十年を迎えようとしている。その間、多くのがん患者、家族と知り合いになった。当然のことながら、がんを通して知り合った人とは「生とは、死とは」ということについて真剣に話し合うことができる。

 また、講演を依頼されることがある。初めは戸惑ったが、自分の思いを聴いて下さる人、評価してくださる人がいるということは幸せであると同時に強み。「あなたは生きているだけで価値がある」と言われた時、どれだけ充実感を覚えることか。

 私には多くの仲間がいる。強みがある。コンプレックスが多いけれど、自分の持つ強みを信じ、もっと自分を好きになりたい。前を向いて生きていきたい。