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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

    生きていてよかった!(2016年4月18日)   皿海英幸

 やっぱり誕生日のエッセイ、記してみよう。帰宅し、フェイスブックを開くと「友達」からお祝いメッセージがたくさん届いている。今日四月十八日(月)は私の六十三回目の誕生日。もうすぐ術後十年目を迎えることもあり、生かされていることにまずは感謝。ただ、二十二日(金)に年に一度のがん検診受診。結果を受けてからエッセイにとりかかろうかという思いもあった。

 さて、最近は誕生日になると、「定年まであと何年」と意識していた。定年が待ち遠しいかのように。職場では「最後の年くらいはサービス管理責任者の役職から解放してもらい、平の職員として働きたい」あるいは「定年間近の者が研修に行っても仕方ない。若いものが行けばいい」といった発言を連発していた。

 今回からそれは封印しよう。というのも昨年九月、長年の懸案だったワックス清掃のパートナーとしてSさんを得た。私とは「足らないところを補い合ういいコンビ」だと思っている。そしてこれも懸案だった、自動床洗浄機を買い替える動きが始まった。これで心置きなく剥離洗浄を実行することができる。となると、定年を意識することなく、Sさんとともに、新しい床洗浄機でできるだけ長くリ・フレワックス清掃にかかわっていたいと思い始めた。「定年後は、たとえパートでもアルバイトでもワックス清掃にかかわることができれば幸せだ」と思うようになった。

 人は誰かとつながっている、何かの役に立っているという実感を得ることにより、生きる張り合いができ、元気で過ごすことにつながると思う。

 うちに帰れば九十歳前後の両親。そして心の病を治療している子供。まだまだ老け込むわけにはいかない。収入もほしい。

 今日、作業終了後、ある利用者に声をかけられた。「神様が『一万円持ってお参りすれば、今後は震災が起きないようにしてあげる』と言っているのが聞こえるのですが、どう思いますか」「幻聴さんがそう言っているのなら、やめておいた方がいいと思う」「神様が『お金を出せば願を聞いてあげる』と言っているのなら、神様も自動販売機も似たようなものになりはしないかな。お金を出せば、ジュースとかカップ麺を得ることができる。それは宗教とは。違うように思う。私が神様に参ったら、『こんな自分でも六十三年生かされていることに感謝します。これからも見守っていてください』と過去の報告をし、感謝の気持ちを伝えるよ」と話しかけると「わかりました。今日はお参りしません」と言ってくれた。近々本当にお参りしようか。

 余命宣告三カ月、術後生存率十%余といった数字をもらったことのある私が生きて六十三の誕生日を迎えることができるなんて、本当に周りの人に感謝だよ。プレゼントはもらうのではなく、私から感謝の思いで配るのが本当だろうな。

 今日も楽しくジョグができることを感謝しつつ、うちを出る。いつものように新市コースだが、備後一宮あたりで脇道にはいる。「えっ!これだよ」Sさんが「軽スポーツで皆さんとともに行けたらいいですね」と言っていた場所。先日の折り込みチラシに「新市地区でこいのぼりがたくさん連なって飾ってある」と写真付きの記事があった。「場所がいまいちわからないので、皿海さん、ジョギングの時に探してください」と頼まれていた。

誕生日に見つけられるなんて嬉しいけれど、いいことが続くと「これで運を使い果たすことにならなければいいのだが」という思いになりやすい。注意、注意。

さて、家族だが、娘の勤務の都合で、「父さんの誕生日のお祝いは二十一日(木)にさせてね」と言われている。「スキルス胃がんと分かったとき、一度覚悟をした人。父さんは好きなように生きればいい」と常々言われている。本当に心配かけたし、良く支えてくれた。二十一日には私の方から家族に何かプレゼントできたらいいのだが。お金はあるのだが、時間がどうだろうか。これからも丁寧に誠実にそしてつつましく生きていきたい。

先日の「音楽療法」の時間、誕生日カードをいただきました。「四月十八日生まれの皿海さんは慎重さと大胆さを併せ持つ努力家」と記されていました。また昨年のカードには「まじめで几帳面、しかし好奇心は旺盛」とありました。皆さん「その通り」と思われますか?