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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

   久々に悩みました(2016年4月10日)     皿海英幸

 三月下旬往復はがきが届く。「さて、本年度は『びんご・生と死を考える会』にとって役員改選の年です。つきましては、あなた様に新役員就任をお願いいたしたく存じます。」とある。

 ふーん、最近研修会に不定期に参加している私に何で注目されたのかな。目立つようなことはしていないよね。強いてあげればがんに関するエッセイが機関誌に掲載されることがあるということか。こんな私に声をかけていただけるということはありがたいことだと感謝の気持ちが湧いてくる。

 おりしも、今年八月には術後十年目を迎える。「がん患者やその家族のために何かお役に立つ活動ができたらいいな」という思いはある。自分の幅を広げるためにも引き受けるという選択があってもいいのかな。

 でもねー。九十歳前後の両親がこの冬に体調を崩してしまい、自分でできることが少なくなった。その分病院へ同行したり、私がする家事が増えたり。休日も忙しく立ち回っている。妻は松葉杖を使っての生活。負担を増やすわけにはいかない。

 私も六十歳を過ぎ、障害者手帳を持つ子供も三十歳になる。定年後、親亡き後の生活について家族で話し合い準備を始める必要性を感じる。

 また昨年度に引き続き、今年度も町内会の役員があり、町内行事には極力参加する必要がある。それとお悔やみのお知らせだが、これは予定を立ててというわけにはいかないので難しい面あり。先日外出しようとしているときにお悔やみの連絡が入り、連絡網を手配していたら予定していた電車に乗り遅れたということがあったばかり。

 ただ、「困難を抱えているから」ということで家に引きこもり社会とのつながりを控えて自粛した生活をするのがいいかというとそうでもないかもしれない。自粛した生活を続けると、孤独・孤立を感じやすくなる。困難を抱えているときこそ社会に出て気分転換を図る、自分の応援団を増やすという試みは大切。

 生と死を考える会は私ががん治療をしていたときお世話になった団体。行事に参加することで気持ちが軽くなった。現在の役員に知り合いがいて、あの方たちなら応援団になってもらえるだろう。ただ、不定期なら参加できるが役員ともなると定例会があるだろうし、行事も極力参加が当然だろう。あの方たちに迷惑をかけるのも不本意。

 うーん、どうすればいいのだ。堂々巡りだ。私は五十歳くらいの時にうつ病の発症歴がある。「悩みは一日一時間以内。そして悩む期間は三~四日。それで結論が出ない時は誰かに預けよう」という原則を通してきたが今回はそれをオーバーして悩んでいるぞ。

 何かの本に「悩むということはどちらの結論になっても大差がないということ。どちらかにメリットがある場合は悩まず即決できるのだから、悩んでも気楽に結論を出しましょう」というのがあった。じゃあさいころを転がして決めようかというと、そういう気持ちにもなれない。

 返信用のはがきを出す締切日が間近になった。どうしよう。よし、これだけ悩んだのだから、「辞退する」ということで許してもらおう。ただし、行事に参加できた時は、当日だけだが、準備後片付けもお手伝いをさせてもらおうか。そして何らかの方法で行事の感想等も伝えるよう努力してみよう。今回「辞退した」ということを引きずらずに気楽に生と死を考える会に参加したい。