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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

      十周年記念誌に寄せて(2016年3月3日)     皿海英幸

 「まあいいや、今回はパスだな」一月四日、RFL(リレーフォーライフ)十周年記念事業の一環として記念誌「希望の道標(仮題)」を発行するので、原稿募集というお知らせをフェイスブックで読む。手に取って読んだ人が心温まるような詩・エッセイ・短歌・イラスト等を応募してほしいという内容。ただし、未発表のものに限るという条件が付いている。

 趣旨は理解できるが、自分にはすでに発表の場がある。

   同人誌「おきゃがりこぼし」

   同人誌「窓」

   難病の会機関誌「あせびだより」

   生きがいユニオン機関誌「患者力」

   びんご生と死を考える会「会報」

   RFL広島ホームページ「がん友のエッセイ」

 そのほか、エッセイができるとメールで送らせていただく人たちが数人いる。その人たちには「私のエッセイは自由に使ってもいいですよ」と伝えている。がんに関するエッセイは節目ごとに記しているが未発表のものというと数少ない。これから記すにしても、内容が過去の作品と似通ったものになりはしないか。

 RFLは魅力的な行事(活動)だし、元気をたくさんもらっている。お世話になっているのだけど、昨年五月、ハートネットテレビのホームページに中国地区を代表してエッセイを掲載していただいている。それに記念誌の収益は日本対がん協会・RFLへの寄付ということである。私のエッセイ、金を出して読んでもらうということに少し違和感がある。私は素人、思いを伝えた人に読んでもらえばいい。顔の見える人に手渡しという方法を大切にしてきた経緯がある。やはり今回はパスし、ほかの人に発表してもらうのがいいかな。

 事態が動いたのは二月十一日。浜中先生より「皿海さん、記念誌にぜひ投稿してください。『がん友のエッセイ』に掲載されたので応募されても問題はないと思います。明日が締め切りですからよろしく」とメールが届く。うーん、浜中先生の依頼とあっては宗旨替えせねばなるまい。

 昨年のRFLルミナリエステージで発表のため記したエッセイ「ルミナリエステージ2015」と「フルマラソンを走りました」を送ることにした。だけど、パソコンが苦手なので、応募用紙に必要事項がうまく入力できない。結局、その旨とエッセイをメールで送り、応募用紙はプリントアウトし、翌日郵送した。

 冷静さを取り戻した時、「フルマラソンを走りました」が気になった。調べるとそれは「窓」「生きがい通信」で発表していた。著作権の問題は生じないが、「未発表のもの」に触れるので、神戸バレンタインラブランについて記した「会えたらいいな」と差しかえさせていただいた。

 「今回もバタバタしてしまった。かくかくしかじかだよ」家族に告げる。「父さんの気持ちも大切だけど、やはりうっかりしていたね。応募するのが筋よ。父さんはがんになって以来『前例がないなら自分が前例となるような生き方をしたい』と思って生きてきたよね。あんなに大変な思いをしたのだし、前例をより多くの人に知ってもらう努力を惜しんだらダメ。後押ししてくれた浜中先生に感謝よ」娘が言った。

そうか、そういわれればうなずかざるを得ない。私が今、生きているのは医療が発達してきたということはあるだろうが、周りの多くの人たちが応援してくださったことも関係していると思う。それだけに、体験に感謝の気持ちを込めて伝える必要はあるのかもしれない。同じ病気の人が諦めないように。

ところで、記念誌に応募する締め切りが三月十四日までに延びた。応募作品が思ったより少ないのかもしれない。これをよい機会ととらえ、皆さん応募しませんか。

「がん患者大集会『全国』患者・家族のメッセージ」(三省堂)に「寝ちゃったりしてごめん」と題する私の作品が載っています。浜中先生の「大丈夫ですよ、私も乳がんで手術をしたのですよ」という作品とともに載っていることを光栄と思っています。今回の記念誌も、誰か知っている人と一緒に載るのを楽しみにしています。