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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

   残念だけど(青太マラソン)(2015年12月20日)  皿海英幸  

 「さすが会場に来ると気分が違う。よしがんばるぞ!」十二月十三日(日)青島太平洋マラソン会場「宮崎県総合運動公園」に来て感じた。今年は春から夏にかけては順調だったが、秋に体調不良のため、走り込みが不十分。そして十二月一日、妻の右足の手術があった。このような状態の中で宮崎まで来てフルマラソンに出場していいのかという戸惑いがあった。

 だけど、十二月のフル出場は一年の目標であると同時に再発・転移なく誠実に生きてきた自分へのごほうびという意味を込めて始めたこと。どういう状況であれ、今年もスタートラインに立てたことに感謝し、今日できる最善を尽くしたい。

 定刻九時にスタート。前回三十六キロ地点でこむら返りにより失速したので前半はスローペースで走ることを心がけよう。空いたスペースがあるからと、右や左へ移動せず、流れに身を任す省エネ走行。よし、順調。

 「あれ、どうしたのかな」六キロ日付近で右足膝の内側に痛みを感じる。九月に痛め、レーザー治療したところと同じような気がする。「なんで今日」ちゃんと通院治療したのに。「なんでこの地点」先月京都の大会で十キロを気持ちよく完走。十キロを超えた地点での痛みならわかるのだが。

 しばらく様子を見ながら走る。痛みは引きそうにないが、かといって強くなるわけでもない。走らず歩くと全く痛みを感じない。よし、とりあえず折り返しの宮崎神宮(十六キロ地点)までは我慢の走りをしよう。ただし、痛いところをかばうように走ると他が痛くなるだろうから、あくまで基本に忠実な走りだ。

 ここで、走りながら思ったことを記してみよう。

・先日、看護学生に「絶対に諦めない」と講演した自分が棄権を考えてはいけないよな。
・完走賞のバスタオル、マンゴーメロンパンは絶対ほしい。
・昨日デパートでお土産の手配は済ませてある。「完走できなかったけどお土産です」では相手も戸惑うだろう。
・交通費、宿泊代は私にとって大きな出費。完走しないと。
・今日のような走りの時こそ自分のペースが知りたい。十キロごとの通過タイムを書いた完走証はほしい。

 そうこうしているうちに宮崎神宮前を通過。痛みの状況に変化はないが、まだ粘れそう。「よし、三十キロ地点までは!」沿道には高校生ボランティアが切れ目なく並んでおり、盛んに声援を送ったり、ハイタッチを求めたり。でも今の私には声援に笑顔で応じることができないのが残念。「今夜のビールはうまいぞ」「疲れは錯覚だ」という横断幕を見つけ微笑む。「痛みは錯覚だ」心の中でつぶやく。

 「あっ、来たか」三十キロ付近で足がぴくぴくし始めた。「うーん」両足ふくらはぎに強烈な痛み。こむら返りだ。這うようにして側道に出て横になる。息をするのもつらいような痛みが繰り返す。間もなく救護のための自転車隊がやってくる。「寒さは感じていませんか。給水所のスポーツ飲料は飲みましたか?」「寒さよりも暑いくらい。スポーツ飲料は飲みました」ゆっくり両足を屈伸させてくださる。

そして塩分濃度の濃いスポーツ飲料を飲ませてくださる。「ずいぶんふくらはぎが固くなっています」さすりながら言われる。適切な応急処置のおかげで前回より早く収まった。「歩けますか。まだ時間はある。三十二キロの関門を通過できればトロピカルロードの関門は緩やか。ゴールできる可能性も考えられます」と言われ、「はい、歩いてゴールを目指します」

 フルマラソン五回完走の私。「一回くらいリタイアし、リカバリーバスに乗るのも話のタネにいいかも」走りながらリカバリーバスを見て思ったこともある。でも、リタイアが現実味を帯びてくると「歩いてでも、何としてもゴールしたい」と思い、歩き始める。

 このあたりのランナーは走っている人も歩いている人もスピードに大差はない。よし、気持ちを込めて歩き、関門突破だ。と思ったが、「前方、運動公園入口の関門はただいま閉鎖されました。それより先は走ることができません」白バイが伝えながら追い越す。「えっ!残念。自転車隊の応援を受け頑張っていたのに」現実を受け入れるしかない。

 もう一つ残念なことがあった。この地点だけはリカバリーバスが迎えに来てくれない。フィニッシュ運動公園が近いので徒歩で帰ることになっている。ほかのリタイアした人はみんな黙々と歩き始めた。「こちらの道を歩いて帰るのですか?」と係員に聞く私。他のランナーはリタイアになれているのかな。こんなことになれたくはない。

 さて、今夜はホテルで一人慰労会ならぬ反省会だ。これを機にフルマラソンはやめ、ハーフにしようか。それとも練習方法・生活態度の見直しを行い再挑戦しようか。急ぐ必要はないが、考え決断する必要がある。それが今回の残念だけど貴重な体験を生かすことになる。

 十四日、帰りの電車ではアドラーの思想を記した本「嫌われる勇気」を読書。

・人生は線としてとらえるのではなく点の連続。
・我々は「今、ここ」にしか生きることができない。
・「今、ここ」が充実していればいいのです。
・過去にどんなことがあったかなどあなたの「今、ここ」には何の関係もないし、未来がどうあるかなど「今、ここ」で考える問題ではない。

といった文章が記してある。今の私には胸に響く内容だ。たとえ、ゴールにたどり着けなくても、過程において最善を尽くせば問題ではない。ゴールできたか、タイムは、順位はといったことより、大事なことがある。病気や怪我があっても、あきらめず、その場面において最善を尽くしたからスタートラインにつくことができた。足に痛みを感じても、考えられる最善を尽くした。こむら返りの時もそうだった。私はアルフレッド・アドラーの思想が好きになりそうだ。