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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

    〇〇の居ぬ間に洗濯(2015年12月8日)      皿海英幸

 「父さん、中国中央病院(共済病院)に図書室はあるの?」「知らないよ。でもなぜ私に聞くの、あなたは教員なのに」「だって、父さん、中国中央病院によく行くのじゃあないの。乳がん患者会とも親しいのでしょ」急な話だが、手術のため、ほぼ一カ月の入院が決まった妻、空いた時間をどうやって過ごそうかと思っての発言。結局、病院のパンフで図書室の存在を確認。

 この夏、転倒でひざを痛めて以来、松葉づえで生活しながら様子を見ていたが、先日の診察で手術をしようということになった。

 十一月三十日昼過ぎに入院。そして夕方手術の説明。医師はレントゲン写真や模型を使いながら説明。滑舌よくはっきりとものをいう医師なので任せても大丈夫という気になる。ただ、説明する部屋のドアが開いたまま。外を通る人がいつでも除くことができる状態なのが気になった。私が閉めに行けばよかったのかな。

 十二月一日、十四時から手術なので、「十三時には病院に来てください。原則、家族が来られないと手術ははじめません」と言われていた。午前中は仕事をし、急いで病院へ。すでに義父は来ていた。予定より三十分早く手術開始に。看護師に三階の家族控室に案内してもらう。

命に別条のある手術ではないので、待ち時間は読書で過ごそうと思い、本二冊を持参したが、ほとんどできなかった。控室は私たちだけではなく、もう一組の家族が。久しぶりに会う人がいたらしく、話に花が咲いていて、声が気にかかった。ということは、こちらのご家族もあまり深刻な手術ではないということなのか。そういえば私たちよりずいぶん早く手術が終了して出ていかれた。

ほどなくバイトを終えた娘が合流。母親に取り、娘の存在は心配が多いがこういう時はうれしく、力強いものであろうと思う。

ほぼ予定の時間、手術は無事終了。先生の説明だと順調な手術だった。全身麻酔ではないので本人との会話も可能。「明日からはリハビリに頑張る」と言っていた。「父さんも忙しいから、見舞いは無理しなくてもいいよ」とも言ってくれた。妻の入院中は九十歳の両親、持病のある娘を私が一人で支える必要があるからだ。

振り返って見ると、中国中央病院が福山に在ったときには娘や妻が入院するとよく通ったものだが御幸町に移転し距離的には近くなった今回はちょっと。家族の食事、洗濯はもちろんだけど、いろんなことが重なった。

職場は五日に社協主催の福祉バザー参加。六日は公民館主催の「旭寄席」落語会に招待されており、引率。私的なことだが八日、「看護学生との学習会」で私はがん体験を語る講師として招待されている。そして十三日は「青太マラソン」でフルマラソン出場予定。それらの準備も少しはしたい。そして、町内会の自主防災組織発足に向け、組長として下準備にも関わらなければ。一つずつなら最低限のことはできると思うが、同時並行して物事を考えようとすると混乱しがちな私がいる。優先順位を決めて取り組むことが大切。

生活を便利にする機械や道具は以前よりずいぶん進歩しているのだが、なんだか人の心に余裕はなくなりつつあるような気がする。別に完璧主義者ではないのだが気ぜわしく不安あり。私が年を取ったということか。

「鬼の居ぬ間に洗濯」という言葉があるが、とてもそのような気分にはなれない。毎日仕事を終え、我が家に帰ってからが大変。昨日は、娘が体調不良というので様子を見に行く。大したことではないというので、両親と夕食を取る。その後不在通知のあった書留をもらいに郵便局へ。帰りにスーパーへ寄り、食材を買う。入浴し、看護学生との学習会の準備。いつもより就寝時間が少しだけ遅くなる。

幸い妻の経過は順調.退院が少し早くなるかもしれない。やれやれ。こうしてみると、妻は日常生活においていろいろしてくれていたのだなと改めて気づかされる。「鬼の居ぬ間に洗濯」などと考えた私が不謹慎なのかもしれない。

これは「おのろけ」と取らないでください。率直なエッセイです。