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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

    移ろいやすい心(2015年11月8日)      皿海英幸

 「いらっしゃい。ちょうどよかった。今日の研修で皿海さんのエッセイ『施設内トイレ掃除』を資料として使おうと思っていたの」十月二十四日すばるクリニックでスタッフに言われた。「生きがいユニオン研修会」でのこと。今日のテーマは「帚木蓬生氏の講演会に学ぶ」 帚木氏は「森田正馬十五の提言」をテーマに先日倉敷市で講演されている。

 私は「外相整えば内相自ら熟す」という言葉に注目した。外相とは外見、外からの見た目。内相とは心の内、心理状態を現す。「心を整えて、行動に移そう」「精神を統一して、目的に向かい邁進しよう」「自分探し」等心(内相)を尊重する考え方が重視される傾向があるように思うが、それでいいのか。

 心は移ろいやすく、つかみどころがない。なかなか整えることが難しい。私の例で考えてみよう。

 今春は体調がよく、気持ちよくジョギングができていた。生きていれば家庭でも職場でもちょっとした問題は良く起きる。だけど体調がいいと「何とかなるよ」と思うことができた。ジョグをすることで気分転換をすることも可能だった。

 宮崎市で開催される「青太マラソン」に申し込み直後の心はとても充実していた。今、マラソンブームである。フルマラソンは出場すること自体が大変な中、すんなりと申し込みを受け付けてもらった。そして計画通りのジョグもできた。

 そんな風向きが変わったのは八月中旬。ジョグの途中右ひざに違和感を覚えたが気にせず続けていると痛みとなった。しばらくジョグを自重し、休養したが回復に向かわず、心は沈み始めた。

 八月末、整形外科を受診するが、「特に異常なし。ただ、生まれつきひざ関節の外側と内側の間隔が少し違うので、疲れがたまると痛みを感じるのかもしれない」ということでレーザー治療を受けることに。原因がはっきりしないと長引くケースが多いが、今回も一進一退というか、なかなか治療効果が表れない。

 そんな時、町内行事に参加。「走ってがんを治した人」「皿海といえばマラソン、走らない皿海は考えられない」と声をかけられる。「こんな状態の時にそんな話題をしなくても」と思い、気が重くなる。余命宣告を乗り越え、「生きがい療法」を学習している私がちょっとしたことでなぜこんなに心が揺れるのだろうか。

 「昨年は九月に坐骨神経痛が表れた。今年は八月に痛みが表れたのだからまだいいよ」と思って過ごす。「なんだか青太マラソンを重視しすぎているぞ。こんなに動揺するのならフルマラソンはやめにして、十キロの大会を楽しんで走ろうか。十キロなら練習をしていなくても何とかなるだろう」諦め始めた。

 九月下旬、やっと痛みが引くように感じ始めた。再発を恐れながら、ゆっくりゆっくり短い距離をジョグする。靴も安全重視のものを購入した。心が少し前向きになり始める。

 十月に入ると職場に清掃担当の新人職員が入る。一部の利用者は「清掃担当ということは、皿海の定年に備えての人事」とうわさしている。新人職員のためにも噂している利用者のためにもリ・フレ清掃についてきちんと指導したい。やりがいを感じる。心の状態がヒートアップする。でも九十歳の両親がミスをするとたちまち不安になることがある。

 心はとても不安定で移ろいやすいもの。まるで水のようだ。水は入れる容器によっていかようにでも姿を変える。心もまた容器ともいえる体の状態により、簡単に変化することがある。

 心の状態を重視し、追い求めるより、心の状態はどうであれ、やるべきことは地道にやろう。苦しくてもつらくても、前を向き、笑顔で過ごしてみよう。泣きたいときは泣けばいいけれど、引きずらないようにしたい。
 森田正馬氏は「健康人のふりをしているうちに健康になる」と述べている。これもまた「外相整えば内相自ら熟す」良い研修会だった。明日から生かすことができればいいな。