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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

     トイレ掃除について(2015年10月18日)  皿海英幸

 「残念だけど平日じゃあしょうがない。あきらめよう」十月十六日(金)倉敷市で作家・精神科医である帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)氏の講演会が開催される。せめてもと思い、帚木氏の著書「生きる力 森田正馬の十五の提言」を読んでみた。そこに印象深い文章があったので記す。

 トイレ掃除は、できるならしたくないのが人情です。特に、不特定多数の人が使うトイレの掃除当番が回ってくると、たいていの人は嫌がります。

 これだって、トイレの汚さになり切ってしまえば、嫌悪感も消えます。トイレは汚いもの、と離れたところから眺めているかぎり手が出ません。なり切っていないからです。

 トイレの汚さになり切ってしまうと、自分とトイレの距離がなくなり、掃除をするにつれてきれいになっていく気持ちの良さが湧いてきます。ありがとうと言っているトイレの感謝の言葉も、耳に聞こえてきます。
            (9なりきるより)

 この文章を読み、まずわが子の幼いころを思い出した。トイレで用を足すと「うんこバイバイ」と手を振りながら水を流していた。距離感がほとんどないといってもいい。こういう心で掃除をしたらどうだろう。便器に便がついて汚れていたとする。「かわいそうに、みんなに遅れたな。よし、落としてやるから早くみんなのところに行くのだよ」と思いながら便器をピカピカに磨き上げるのではと思う。きれいになった便器を見て、すがすがしい気持ちになるだろうと考えられる。

 ところで私たちの施設でトイレ当番に関するトラブルがあった。年配の利用者Aさんに「あなたもトイレを使っているのだから、トイレ当番になりなさいよ」と多数の利用者が迫ったため、当番にならざるを得なかった。

 だけどAさんは手順が覚えられず、毎回違った手順でしたり「わからない、教えて」と他の利用者に聞いたりしていた。トイレ内に手順票が張ってあるのだが。

 最近風向きが変わった。「何回やってもAさんは覚えない、やる気があるのか。いい加減にしてほしい。いっそ当番から外してほしい」と職員に申し出があった。

 私たちの施設内トイレ掃除は二つの面があると理解している。①しっかり練習し、清掃技術を身に着けることで府中市と契約している施設のトイレ清掃を行えるようにする。②家庭に帰ったとき、家事の一つとして重要なトイレ清掃ができるようになる。もちろん自分達が使ったトイレを当番で清掃することで仲間意識を共有するのは①②どちらにも含まれていると考える。

 現状は①を重視している。だから専門的な道具を使用し、プロの技も使いながら掃除をしている。だけどAさんの場合、身体的なこと、年齢を考えると①の可能性はほとんどない。②を中心に考えた方が現実的だ。

 だとしたら、Aさんの掃除はもう少し簡略化してもよいのでは。まずは一般的な家庭で使用されていない道具はわきに置いて考える。それだけでも工程が少なくなり、簡略化できる。そして職員と一緒に掃除をしながらAさんにふさわしいというか、家に帰っても可能な掃除の仕方を身に着けてもらう。

 私たちの施設は障害福祉事業所。障害の現れ方、生活のしづらさは利用者によりそれぞれ。また年齢にも幅がある。「できないから」と排除するのではなく、「ほかの方法でやってみては」「Aさんがやりやすい方法は」と考えるところから始めてもいいのでは。

 帚木氏の考え方に変えるなら、Aさんと職員が一緒にトイレ掃除をしながら、トイレの汚さになりきり、トイレに話しかけながら掃除をしていたら、何かヒントを得るような気がする。誠に恐縮ではあるが、わが子の態度の中にそれがありそうに思う。

 帚木氏といえば、過去にギャンブルに関する著書を読んだことがあるが、森田療法に関する著書があることは今回知った。私が術後9年を生きてこられたのは、森田療法・生きがい療法に出会ったのも一因だろうと思っている。