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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

   「死を背負って生きる」より    2015年7月6日

 「びんご生と死を考える会」六月の講演会は、淀川キリスト教病院名誉ホスピス長柏木哲夫さんを講師に「死を背負って生きる」という題で開催された。わかりやすく、興味深い講演だった。特に「人は生きてきたように死んでいく」と語られたのが印象的だった。そこで、そのあたりを中心に、私なりに講演をまとめてみたい。

 「この世には多くの統計があり、その中には数字のまやかしも存在する。しかし、絶対に間違いない統計がある。それは人間の死亡率は100%であるという統計だ」これはサマセット・モームの言葉だが、絶対に正しい

 しかし私たちは日常生活で、死についてあまり考えない。それは生の延長上に死があると思っているからではないか。

 私はホスピスという場で2500名のがん患者を看取った。その経験から言えば生の延長線上に死があるのではなく「人間は死を背負って生きている」と言えるのではないか。

 ホスピスで患者を診ていて感じることは、「人は生きてきたように死んでいく」ということ。感謝しながら生きてきた人は、スタッフに感謝しながら死んでいく。不平不満を言いながら生きてきた人は、スタッフに不平不満を言いながら死んでいく。有名企業の社長であろうと、平凡なサラリーマンであろうと同じこと。入院しパジャマに着替えてベッドに横になれば、地位・肩書は関係なく一人の患者となる。

 生き様が見事に死にざまに反映するのだから、よき死を死するためには良き生を生きる必要がある。

 人生は「集める人生」と「散らす人生に分かれるように思う。集める人生とはお金・物・知識などを集めることが中心になる人生。散らす人生とは、お金・経験・時間などを周りの人々に散らす人生。最も大切なのは時間。時間を自分のために使うか、人のために使うかによって、その人の人生の色合いが決まるようだ。

 ただし、例外もある。集める人生を生きてきた人も、人生の振り返りをし、してもらったこと・してあげたことの整理を行うことで、感謝の気持ちになることがある。これを私は「最期の跳躍」と呼んでいる。

 さて、末期患者の共通の願いは何だろう。それは「気持ちをわかってほしい」ということ。つらい、悲しい、寂しい等(陰性感情)。そう言った患者の気持ちを理解するためには陰性感情を表現する言葉を会話の中に入れること。例えば「それはつらいですね」「そうですか。悲しいですね」 安易な励ましはコミュニケーションを遮断する。

 もう一つ大切なこと、寄り添う人の求められるものは「人間力」 それでは人間力とは何か。1聴く力2共感する力3受け入れる力4思いやる力5理解する力6耐える力7引き受ける力8寛容な力9存在する力⒑ユーモアの力

 「良き人生」を生きてきた人は看取りやすい。良き人生とは・感謝する人生・散らす人生・ユーモアのある人生                    以上

 私はホスピスで過ごした体験はない。だけど講演を聴いていて進行したスキルス胃がんの手術のため、岡大病院に入院した時のことを思い出した。当時の担当看護師は言った。「大学病院に入院して手術するなんて、何回もあることじゃあない。患者に取り、人生最大の危機ともいえる。そんな時患者がどんな態度を取るのか、それを私がどう支えられるのか。とても大切で魅力的なことと思うの」

 それでは、一時余命宣告を受けていたスキルス胃がんの私が彼女にはどんな風に映っていたのか。「我慢して我慢して我慢する人。患者としては扱いやすい優等生」妻には「私が皿海さんのような考え方・生き方をしたらとてもしんどいと思う。でもあの人はずーとああいう生き方をしてきたのだから、それが一番楽な生き方かもしれないわね」

 担当の看護学生は研修終了時に言った。「皿海さんは、もっと無茶を言って、看護師を困らせてもよかったと思う」

 彼女たちの発言から察すると、私が良き死を迎えるためには何か足りないものがあるようだ。何が足らないかを考えながら、良き生を生きてみたい。