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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

    ああ、披露宴       皿海英幸
 「失敗するわけにはいかないだけに心配だな。できるだけ食べないように心がけてみよう」胃の全摘手術を受け、もうすぐ九年目が来ようとしいているが、食事はいまだに苦手だ。時として吐き気を伴う不快感に襲われる。
 五月二十三日、息子の結婚式&披露宴が行われる。自分のことなら失敗しても「仕方がないな」とあきらめることができるが、息子の大切な日に恥をかかせたくない。そして食事の後「両家代表謝辞」を述べる役割がある。謝辞は練習するということもできるが、食事はそうはいかない。息子の結婚を素直に喜ぶことができない自分が情けない。
 「母さんも姉さんも病気がある。僕は家から通える学校へ行き、家から通える職場に就職する」と子どものころに行っていた息子。京都の大学を卒業し、京都で就職し、京都で挙式する息子。言っていたことと違ったが、人柄のよい娘さんを見つけた息子。
 当日の朝は早い。妻と娘たちは着物の着付けのため、午前七時タクシーにて会場入り。私は京都駅の周りを散歩し、三十分後に会場へ。九時から記念撮影だが、その前に親族紹介がある。私の時は自己紹介だったが、今回は父親が紹介する段取り。普段は愛称で呼び合っている人もいるが、ここではきちんとした名前を言わなければならない。途中で詰まって慌てないようメモを作り、黙読しながら練習。
 親族紹介、写真撮影は無事行われたが、まだ緊張している私。「今日の主役は新郎新婦、私はわき役」と言い聞かせるが緊張はほぐれない。よし、今日は緊張を楽しもう。
 チャペルにて式が始まった。まずは新郎の入場。息子が入場してくると、なぜか涙があふれ出した。拭かずに流れるに任せ、最前列よりしっかりと見つめる。
 次に新婦が父親とともに入場。新郎新婦がそろったところで誓いの言葉、指輪の交換となる。神父さんのスピーチの中で印象に残った部分を記す。
 「新婚生活で大切なこと
 ○お互い支えあい、助け合って生きていく。
 ○過去のことを持ち出さない。
 ○一日に一回、やさしい言葉を相手に伝える」
 私たち夫婦はどうだろう。三十年も一緒にいると会話が減ってゆき、やさしい言葉かけは意識しなくなったように思える。新婚時代を思い出し、もう一度実践してみようか。
 いよいよ披露宴が始まった。料理は和洋折衷のコース料理。食べすぎないように、ゆっくり食べるよう心掛けるだけでなく、新郎の父としては各テーブルを回り、挨拶とお酌をすることも大切。まだゆっくり楽しむというには程遠い感あり。
 披露宴はお蔭で滞りなく進んでいく。デザートはパスし、両家代表謝辞に備えようと思っていたが、入刀のケーキとあっては食べてみたい。ゆっくり味わいながら食べる。
 いよいよ謝辞。「この通りを読めばいい。余計なことは言わないで」と息子に渡された型通りの原稿を読む。リレーフォーライフ等人前で発言するのに慣れつつある私だが、自作でない文章は読みにくい。まして感情を込めた謝辞というより、緊張していた。
 お開きとなり、退場されるお客様にお礼を言って頭を下げる。親しい人に声をかけられた息子が「衣装を着替えるまでは緊張が続くよ」と応えていた。この親にしてこの子ありか。
 私はがんになったが、奇跡的に助かった。わが子ががんになったら誰が支えるのだろうと心配したことがある。息子が私と同じ年でがんになったとしたら私は八十歳。十分な支えとなれるだろうかと。でも、よき伴侶を得ることができた。本人の生きる意欲は増すだろうし、新妻を中心に家族で支えあう体制となるだろう。
 今日は披露宴だか疲労宴だかわからない状態だったが、明日からはじわじわと幸福感が湧いてくるであろう。私自身も生きる意欲が増すだろうという予感を感じている。