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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

     「うん、生きなきゃあ。  」
 「笑いが絶えない明るい映画だな。認知症がテーマなので気が重くなるような部分があるかと思っていたのだが」認知症のため徘徊する祖母の相手をした経験がある私の第一印象だ。それもそのはず、伊勢真一監督は「この映画は、認知症のドキュメンタリーというよりも、ある夫婦の愛の物語だ」と語る。この映画とは「妻の病 レビー小体型認知症」四月八日、シネマ尾道で鑑賞。
        
 「笑いが絶えないといってもレビー小体型認知症は軽い症状の病気というわけではない。「パーキンソン症状と幻視・幻聴体験、記憶障害がみられる疾患。うつ症状も見られるため、同居する家族の精神的負担も大きい」という語りによる説明がある。
 主人公の一人、石本氏は「自分もうつ状態になったりして、非常に辛い日々を送っていた」 共倒れになってはと思い、妻に施設へ入ってもらう。
 「居なくなってほしいと思っていたのに、居なくなったらすごくさびしくて」「私のうつ病がよくなり、弥生さん(妻)の症状が安定したら、またいつか一緒に暮せるときが来ると思います」 やはり愛の物語だな。
 二年後、石本氏の近くに住む弥生さんの姉が彼女を引き取り、介護してくれることに。石本氏は時間を見つけてはそこに通う。石本氏の手帳には「愛し直す作業をしたい」と記してある。
石本氏、妻、姉と三人はよく笑う。介護をしたりされたりするのを楽しんでいるようにも見える。というか、認知症を笑い飛ばしているようにも感じる。
 認知症の介護について石本氏は語る。「簡単ではないだろうけど、その心に寄りそって、介護することによって、介護の質が上がって、介護の手間が軽減されて、そして患者さんが穏やかになって、介護者も楽になること、ということで、結局は認知症の人の心を知るということが、すべての始まりであり(以後省略)」
 石本氏は次のようにも語る。「人生とはほんとに、どんなことになるか」「だから面白いんだよ」「だから生きなきゃあいけないんだよ」
 それにしてもまだ花が開かないつぼみの桜並木を寄り添うように歩く石本夫妻、美しいラストシーンだった。ジーンときた。
 認知症は完治する治療法はないというが、周りの理解と接し方次第では、生きづらさというものはかなり改善されると感じた。私たちは忘れ物をしたり、ミスを重ねたりすると「認知症が始まったのか」と軽口をたたくことがあるが、安易に使うのは慎まなければと思う。記憶力が低下するのは事実としても、心は生きている。相手を思いやる心はある。そんな人に失礼だ。
 おいしい尾道ラーメンを食べ、内容のある映画を見ることができた。年度替わりのあわただしさを忘れさせてくれる充実した時間。チケットを手配してくださった浜中先生に感謝。
 ところで帰りの電車の中で考えた。「我が家で妻が認知症になったとしたら、私は石本氏のように妻と接することができるだろうか」「『愛し直す作業がしたい』と思うだろうか」
 いや、むしろ私が認知症になったとしたら、妻が「愛し直す作業」をしてくれるだろうか。こちらの不安の方が大きい。でも、こんなことを記したら罰が当たるかな。がんの告知を受けたとき「父さん大丈夫。私が絶対支えてあげる」といった妻。五年生存率十%余と聞いても気丈に接してくれた妻。フルマラソン出場を提案した妻。たぶん大丈夫。きっと大丈夫。だけど、認知症になってからではなく、今から「愛し直す作業」を始めてみようかな。
 うん、二人で生きなきゃあ。

     参考図書(パンフ)
      妻の病 レビー小体型認知症
           いせフィルム発行