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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

    ビッグバン以来のつながり
 「皿海さん、危なかったのですよ。定員オーバー直前での申し込みでした」すばるクリニックスタッフに告げられた。三月十五日岡山シティミュージアムにて開催「心の健康セミナー 生老病死と森田療法」講師は山中和己先生。キャンセル待ちの人もいたということなので、当日の様子を私流に記してみたい。
 終戦の年、私は六歳。住んでいた大阪は大空爆により火の海となる。終戦後も栄養失調で死ぬ人は多く、死を身近で見てきた。そんな私だが、十六歳で死の恐怖を感じた。一般的な死の恐れと同時に「自分がこの世界から消えて無くなるのはどういうことだろう」という恐怖だ。
 一時的にはうつ状態となりひきこもりも始めた。近いうちに死ぬのではという思いもあった。十八歳で森田療法を本で知り、生活の発見会入会。「あるがまま」=「自然の心を尊重」ということを知り、森田療法を真剣に学んでみようと思った。
 森田療法で学んだことを話してみたい。まずはこんな私でも「この世で生きていることを許されている」つまり「生きてみなさい」と認められていると知らされた。以来、ものの見方考え方が変わった。心の事実を知り、心の自由を感じた。「生老病死」を味わうのが人生と考えた。
 私は脳梗塞の体験があり、右半身が動かなくなった。リハビリで現在はほぼ元通りになった。森田療法を学んでいたおかげで「人間は病気になるもの。残った機能を使って生きていこう」と思った。私たちは人工物に囲まれて生活している。便利ではあるが、心は変えようとしてもすぐとはいかない。人の身体は病気・怪我をしても初期化はできない。
 生と死は切り離せなく両立するもの。不安・恐怖とは共存していく。悩み、迷うのが人間であり、煩悩万歳。綾小路きみまろは「中高年、登りつめもしないで下り坂」と言っているがそれでいい。理想通りの人生とはいかないもの。
 「諸行無常」とはすべての者は、移り変わってゆくので、絶対的なものはないということ。心の問題としては「かくあるべし」が少ない方がよい。
 「諸法無我」とは、すべての物は、つながっているということ。ほとんどの人は「自分は自分だ」と認識しているが、認識して生まれるわけではない。生まれた後で認識しており、自分の意思で生まれる時代、場所は選べない。
 ビッグバンにより、宇宙は始まったといわれる。そして銀河系・地球が誕生し、その後生命が誕生し、人類が誕生した。人は皆、ビッグバンからずっと続いている。つながっている。人は皆もとをたどればビッグバンにたどりつく。気の遠くなるような年月をつながって私たちは誕生したのであり、人の命は皆尊い。つながりの中で生きていることを認識して生きてみよう。
 私は死ぬと大宇宙へ帰るというイメージを持っている。死後については皆それぞれのイメージを持てばいいと思っている。死ぬのも私自身だから。
 ただ死後、返ってきた人はいない。死後の世界はよほど良いところかもしれない。      以上
 私は「生きがい療法」を通して「森田療法」に接した。「生活の発見会」のように定期的に森田療法を学んでいるわけではないので、聴いていて曖昧な理解しかできていないところがあると思う。誤解の部分があったらごめんなさい。
 その後、懇親会に参加。会場は映画館跡を利用した飲食店。テーブルを囲むのではなく、階段状の席に皆が同じ方向に向いて座る。バイキング方式であり、料理は最上段にずらりと並べてある。物珍しさを感じたが、飲食して階段を移動していたら、いつもより早く酔っ払っちゃった。
 一年ぶりに懐かしい人たちと出会い、楽しく充実した一日であった。