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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

   トーク&ライブイン府中
 「悪いけどやっぱり府中にしよう」府中ニュース速報の「末期がんを克服した魂の歌手、杉浦さん、白銀でトーク&ライブ」という記事を読み、方向転換した。杉浦さんのトーク&ライブはのぞみの会主催で尾道でも開催予定。私はのぞみの会に知人がいるのでそちらに行こうと思っていた。
 府中会場に変えたのは交通費とか、時間の節約という理由ではない。「府中でがんに関する行事を行い、果たして何人の人が来るか」という不安がある。そういう状況の中で「主催しよう」と思った方の心意気を大切にしたい、成功してほしいと思った。
 当日七月十九日(土)の午後、ものすごい雷雨。「どうやって行こうか」と空模様を見ていたが、小ぶりになったとき急いで出かけた。定刻三時、以外と言ったら失礼だが、多数の人が白銀に集い、熱気にあふれ始めた。「余命半年、二年後の生存率0%」と宣告を受けながらも、腎臓がんを乗り越え、フルマラソン完走。そして音楽活動を続ける杉浦貴之さんはエネルギッシュな方。そんな彼のトークで印象に残ったところを私流で記してみたい。
 人の身体は60兆の細胞でできているといわれています。「自分はつまらない奴、ダメなやつ」と思っていたら、60兆の細胞が元気に働くだろうか。ストレスでうまく働けない細胞が出るだろう。「自分らしく生きている、今のままで大丈夫」と思っていたら、細胞はうまく機能し、一つにまとまるとすごい力となるだろう。
 その力で病気、障害を乗り越えよう。いくら治療しても、努力しても、治らない病気、障害はある。でも乗り越えることはできる。「乗り越える」とは前向きに生きること、周りの人の理解を得ることにより、暮らしにくさや、生きづらさを軽減し、自分らしく生きること。
 がんのマーカーの数値が悪い人に、会うたびに「今日は顔色がいいね、大丈夫だよ、僕がそばにいるからね」と言い続けたら症状がよくなった人がいる。心の持ちようの大切さがわかる。
 入院中、退院したらホノルルマラソンに出場すると決め、走っている自分をイメージして過ごした。無事退院できたが、マラソン出場は将来的なことと思い、具体的な行動に踏み出すことはなかった。だけど、先輩がんサバイバーに「いつかはと思っていると一生走られない。いつ走ると具体的に決めなさい」と言われ、その年のホノルルマラソンに出場し、完走することができた。
 杉浦さんのトーク、自分にも似たような体験があるだけに、ビンビン身体に響いた。私は生真面目で一人考え込むような性格だった。開腹手術の時、がんだけでなく、性格の悪い部分、腹黒い部分も摘出してもらったのだと考え、生き方を変えたいと思った。おかげで周りの人に「不思議な人、がんになって明るくなった」と言われている。落ち込みやすかった60兆の細胞も、手術後は活性化したのだろう。待てよ、胃・脾臓・胆のうを全摘した私はもしかして60兆より少ない細胞になっているのでは。身体(細胞)を大切にしたい。
 病気・障害に関する話、福祉施設勤務の私には参考になることが多かった。「障害はきっと乗り越えられる」それを信じたい。
 「将来的には就職したい」「いざとなったら就職する能力はあるはず」と思いながら入所する利用者。具体的取組がないまま時間が推移する。やがて「今の状況は難しい。ここでもいいか」「ここしかない」と思うようになる利用者を見てきた。
 「いつまでには就職したい」「こんな職種がいい」と具体的なイメージを語れるような指導ができたらと思う。そして「そのためには今何をするのがいいのか」を共に考えることこそ重要。ただし、無理をして、再発しないよう注意して見守ることを怠ることのないようにしながら。
 最後に「10年後の自分を想像し、皆の前で発表しよう」というコーナーがあった。入場の時初対面なのに主催者Tさんに「発表してください、お願いします」と頼まれていたこともあり、私は「10年後もフルマラソンを完走したい」と発表。会場の皆が「大丈夫、君ならできる、大丈夫」と大合唱。10年後は70歳を超えているが、完走できるぞ、頑張るぞという気もちになった。
 全てが終わり、帰宅しようとした時、Tさんは「無茶ブリしてごめんなさい。今日はありがとうございました」と言いながら握手を求めた。若い女性なので、照れ臭かったが、「府中で一緒にがんに関する行事ができたらいいな」と思いながら握手をした。盛り上がった会だった。