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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

    多くを求めず
 「元医師の父が目指した明るい自然死」という演題にひかれ、「びんご生と死を考える会 定例講演会」に参加する。四月二十六日・学びの館ローズコム。講師は医師で作家の久坂部羊(くさかべ・よう)氏。演題にとらわれず、私の印象に残った個所を中心に記してみたい
 「大学病院に勤務していたときの話。食道がんの患者と聞くと外科医は張り切る。大きな手術となり、腕の見せ所だから。だけど転移がんのある患者と分かると医師は興味を失う。そして患者には転院していただく。大学病院は治る可能性のある患者を診るところであり、手術をする所。
 大学病院は高度な技術・設備のあるところ。それらを効率的に使おうとすれば、治る患者を優先せざるを得ないということになる。そのことが研修医だった私にはわからなかった。」
 私は七年前、胃がんで岡山大学病院に入院した。インフォームドコンセントの際、スキルス胃がんの説明を受けた。その後「腹腔鏡手術で状態を確認します。手術できるようなら開腹手術に切り替えますが、拡大手術となります」と医師。「拡大手術をしても、社会復帰ができるのでしょうか?」と訊く。「復帰した人もいないではないが、ごくわずかです」
 説明後数日間「拡大手術で社会復帰の可能性が少ないのなら、治療をせず、早く亡くなったほうが妻子に貯金を残すことができるのでよいのでは」と悩んで過ごした。
 日下部氏の説明「大学病院で手術するのは治る可能性のある患者」を聞くと「エー、あの悩んだ時期はなんだったの」と思う。ただ、がんと直接向き合い、悩んだことはその後の生き方に深みを与えたと思う。
       
 腹腔鏡手術の結果、「胃の全摘手術より、抗がん剤治療を優先しよう」ということになった。「抗がん剤治療ですが、通いますからぜひ岡大でしてください」と懇願したが、「抗がん剤治療は地元の病院で。手術できる状態になったら帰ってきてください」と言われた。府中から岡山は遠くて通院が負担になるだろうという配慮かと思ったが、大学病院ゆえの事情も加味されていたのかな。
 「多くの人が『医療は大事』と思っているが、医療によって治る人はごくわずか。本当は自然に治ったというものが多々含まれている。ただ、患者にとっては『医療によって治してもらった』と思う方が、気持ちが楽になる。医療も宗教と同じ面がある。
 異常を感じてもすぐに病院へ行かず、一カ月くらいほっておくのも方法。それで治るものは治る。治らないモノは医療が必要」
 医師がこういった発言をするのは勇気が必要と思う。ふつうは「早期発見、早期治療が大切。定期健診を!」と呼びかけるケースが多いだろう。
 自分の免疫力を信じたいと思いつつ、「念のため・安心したいから」と通院するケースがかなりあると思う。氏の発言に共感するが、素人にとって一カ月はちょっと長い。二十日を過ぎると不安が高まる。不安が高まるとストレスになるだろうから、一カ月にこだわらず、不安が高まるようなら受診もありと思っておこう。
 「食欲がなくなるということは身体が受け付けていない・臓器が処理できなくなるということ。無理やり食べさせるのは苦しめるだけ。食べずに少しずつ弱っていく方が楽に死ねる。
 親の死に目に会えるかどうかよりも、今、親にできるだけのことをすることが大切」
 共感できる内容だ。食欲がなくなったとき、本人が望んでいないにもかかわらず、無理に食べさせることはかなりの苦痛。
 「遠方にいる親せきが死に目に会えるよう、延命してもらった」という話を聞くことがあるが、命は本人のもの。不自然さを感じる。もちろん今できることを実行し、悔いがないようにすることが大切だが、親としっかり話をし、エンディングノートを作成しておくというのも一方法かもしれない。
 色々考えさせる有意義な講演会であった。氏が最後に締めくくりとして発言されたことを記しておきたい。
「甘いものや優しいものばかりに目を向けず、現実の厳しいものも直視しよう」