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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

    欠席の理由を問うべきですか
 わが子の入学式出席のため、勤務先高校の入学式を欠席した教諭の姿勢がインターネット上で議論されている。この教諭は新一年生の担任だった。ネット上では容認する意見がやや優勢だ。
      
 私の率直な感想としては「なぜ、欠席の理由が議論になるのだろう。不思議だな」この教諭は届け出を出しての欠席。かりに議論をするのであれば「校長の判断が適切であったか」ということであろう。一個人の欠席理由を議論するのは不自然さを感じる。
 それでもあえて「教え子と自分の子どもの入学式、どちらを優先すべきか」という議論をするのであれば、「教諭個々人の判断でよいのではないか。必ずどちらかに統一すべきとは思わない」というのが私の結論である。
 ネット上の議論を読んでいて、思い出したことがある。娘が小学生の時のある休日。娘の誕生日のお祝いをしようと、妻が張り切って料理を作っていた。「もうすぐ料理ができるから、父さん、予約しているバースデイケーキを取りに行ってちょうだい」妻が私に言った。「よし、分かった」と言っているとき電話が鳴った。妻が勤務している学校からだ。「担任している生徒がトラブルを起こしたので、すぐに来てほしい」という内容。
 「悪いけど、これから行ってくる。父さん後を頼んだね」「よし、分かった」とは言ったが娘は半泣き。「教え子とわが子、どっちが可愛いの」妻もつらそうな顔をし、急いで出かける。私はケーキを取りに行き、妻手作りの料理で精いっぱいのお祝いをしたが、娘にとっては辛い誕生日となった。
 また、当時は学校行事・クラブ活動等で休日出勤も多々あった。父親としてしっかり子どもの相手をしたつもりだが、子どもたちはさみしがった。学校の体育祭で妻が出勤したある日曜日、子どもたちはさみしがった。そして「母さんの学校の体育祭を見に行きたいという。
 「よし、行こう」子どもたちと一緒におにぎりと卵焼きを作り、弁当箱に詰める。リュックを背負い、遠足がてら体育祭を見に言ったこともあった。最近の言葉でいえば「イクメン」を自負していた。
 しかし、成長した娘が心の病を患った。専門家に診てもらうと「今、可能な限りの愛情を示してください。もう一度子育てをするつもりで」と言われ、ショックを覚えた。心の病の原因が育て方にあるわけではないだろうが、何らかの影響は受けているだろうと考えたのだ。最近徐々に落ち着いてきているように見える。ただ、自分の感情を表現するのは不器用だと思うことがしばしばある。
 「子どもは親を選んで生まれてくるのではない」という言葉がある。もちろん親の職業を選んで生まれてくることなどできない。子どもに辛い思い、さみしい思いをさせ、申し訳なく思っている。
 ネットで議論になっているテーマ、もちろん感情論を振りかざして参戦するつもりはない。学校という組織の中でどうとらえ、どのように補完するかという組織論が中心になって話し合えばいいなと思う。
 ただ、教諭個人の姿勢も問題になるのなら、生活の実態も知った上で話し合ってほしい。それをしないで「教職は聖職」「教諭は公僕」という一口で片づけないでほしい。
 今回の問題、社会は事情を抱えた者同士が、支え合って成り立っている、そのことを若い学生たちが考える良い機会とすればいいのかな。