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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

「びんご生と死を考える会」記念講演会より

                    皿海英幸

 やはり今日はネクタイ着用が無難だろう。会場がホテルだし、二十周年記念講演会とくれば。十月二十六日「大切な人を亡くしたひとへのケア」と題する講演会が福山ニューキャッスルホテルで行われた。そこで私にとって印象的だったところを私流の解釈で記してみたい。


 講演①「寄りそうこころ」

アルフォンス・デーケンさん 上智大学名誉教授

まず、死への準備教育の大切さを述べられた。人は皆死が訪れる。人生は限られているということは時間の尊さを感じながら生きていくということ。

「死への準備教育には四つのレベルがある。①知識のレベル。②価値観のレベル(延命はいつまですべきか等)。③感情のレベル。④技術のレベル(スキルトレーニング)がある」。

氏の話の中で最も心に残ったのは、「救け人自身が救けである」というデンマークの実存哲学者キルケゴールの言葉を紹介されたところ。つまり、私たちは「救ける」というと、何かすることを考えるが、キルケゴールは、「そばにいる人の存在自体が大きな心の救いとなりえる」と言っている。

私が胃がんの手術で入院中、娘が付き添いとして病室で過ごした日がある。「私、当時鬱傾向だったので、父さんに何もしてあげられなかった。申し訳なく思っている」と思いだしたように今も言う。私には「何をしたか」よりも娘が病室にいるということだけで心強く感じた。

退院後妻が、かいがいしく私の世話をしてくれた。最初はうれしかったが、次第にイライラが募ってきた。「自分でできることは時間がかかっても自分でしたい。できないときは『できない、手伝って』というからそれまでは手を出さないで。それがリハビリと思う」つい強い口調で行ってしまった。介護休暇をとり、家にいてくれるだけで感謝していた。

また、グリーフ(喪失・非嘆)ケアにおいては「一言も語らず、ただじっとそばにいることも立派なコミュニケーションになると氏は語られた。すること(doing)」と「いること(being)」。考えさせられた。

締めくくりとして「自己流のユーモアと笑顔で、世界中の悲嘆と緊張を和らげよう」と訴えられた。

講演②「音楽で寄り添うこととは」

新倉晶子さん 音楽療法士

新倉さんはホスピス・緩和ケア病棟で音楽療法を行っている。その目的は「患者さんの負担を極力少なくしながら、患者さんやご家族の感情に寄りそう『旅』を共にすること」。

新倉さんの講演で印象的だったのは「故郷」を取り上げられたところ。一番二番は会場の皆で合唱し、三番は新倉さんが一人で歌われた。その後、「それでは隣の席の人とあいさつをし、握手をしましょう」隣席には親子くらい年齢が離れているのではと思うチャーミングな女性。ネクタイしてきて良かった。

「ごめんなさい」涙ぐんでいたようだ。歌っているうちに感情がこみあげてきたところがあったのか。挨拶をし、握手をする。

「『故郷』の一番をうたった時は何を思ったか、二番では、三番では。話しあってみてください」と新倉さん。彼女は涙ぐんでいたので「私からにしましょうね。一番は子どもの時、近所の山や空き地で遊んでいたこと、二番は両親のこと。今後自分がどれだけ世話ができるだろうか。三番は学校を出るとしばらく大阪で修業をし、そして地元に帰ったこと」と話した。彼女も熱心に語った。だけど私の記憶が曖昧な部分があり、個人情報でもあるのでここに記すことは省略したい。

いつもは歌を歌っても、特に感じることは少ないが、「次の作業が辛くなった方、会場の外に出ても構いません」と言われて歌い始めたので、いつも以上に感じるところがあったのかもしれない。彼女も思いは一緒だった。会場からは「三番は亡くなった人があの世から家族を思っているようにも感じられる」という声あり。歌も人により、その時の状況により感じ方が違うようだ。

同じ曲でも、アップテンポで明るく歌うのと、ゆっくりそしてしっとり歌うのでは違った感じ方をするということも教わった。一例として、山田耕作氏は「赤とんぼ」をゆっくりと歌うことを許さなかったという。

音楽は強いエネルギーがあるので、対象者を圧倒しないように、音楽療法士は自己のエネルギーを調整することが大切と言われた。


全ての行事が終了すると、隣席の彼女は笑顔で会釈をして立ち去った。良い講演会だった。