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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

   陰ながら
 先日フェイスブックで交流している女性の誕生日でした。そこでお祝いメッセージを送ったところ、「皿海さん、お元気で活動されているようで、いつも陰ながら応援しています。(以下省略)」というメッセージが返ってきた。
        
 私、女性関係は複雑ではありません。陰ながらと言わず、表に出て応援してくれても一向構いませんよ。
えっ!そういう問題ではないって。仕事が忙しいし、家庭のこと・趣味の活動等がある。それに年齢、生活圏がかなり離れている。陰ながらでも応援していただけることはとても有難いこと。むしろ奇跡に近いことかもしれませんね。
 彼女と直接出会ったのは五年くらい前になるのかな。懐かしい思い出です。

   今ですか?
 「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があります。「昔の人はうまいことを言ったな。その通りだ」と思っていたのはいつごろまでだろうか。今年は彼岸どころか、十月になっても真夏日が続く日がある。私はいまだに半袖シャツで汗をかきながら仕事をしている。
 だけど、街を歩けば「クリスマスケーキ予約受け付け中」「年賀状の予約を」「おせち料理の受付を始めました」ポスターやのぼりが目に付くようになった。ちょっと待ってください。もう少しだけでもいい。涼しくなってからにしてほしい。
 スーパーのお酒売り場に行くと「秋味」「冬物語」という名のビールが並んで販売されている。温度としては真夏日が続いているのに。季節感・季節商品といったものの存在があやしくなってきた。
 季節といえば、俳句には季語というものがあるが、見直しの必要性が迫られているのではないかな。

   見かけ倒し
 先日、職場でSSTがありました。まずは自己紹介。今回は自分が旅行したい所をいい、次に名前を言うというやり方です。私は「静岡県御殿場市に行きたいと思っている皿海です」と紹介しました。御殿場市には難病者の研修・宿泊施設があり、懐かしい思い出がたくさんあります。
    
 ところでSSTの先生は私の紹介の前に「皿海さんはあちこち行っておられるのでしょうけど」と発言されました。私のどこを見てそういう思いをされたのでしょう。行きたいところはあるのですが、高齢の両親、障害のある子どもがいると、休日も出にくいことが多いのです。それに質素な生活をせざるを得ない現状があります。年に一度宮崎市のマラソン大会に参加する以外、ほとんど旅行はしていません。先日福山市松永町にある「はきもの博物館」に行ってきましたが、「行きたい」と思ってから一カ月かかり、やっと行けました。
 また、先日職場の同僚に「あなたはストレスをため込む人には見えない」と言われました。私のどこにそんな風に思わせるものがあるのでしょう。どうも私は見かけ倒しというか外見で誤解されている部分が多々あるように思います。
 でも、がん関連の行事に参加すると「あなたは繊細で優しい人。周りに気を遣いすぎるからがんになったのでしょう。もっとわがままに生きてみたら」と言われ、ほっとします。この違いはなんなのでしょうか。
 もっとも人は誰でも一面的ではないでしょう。見る人の立場・角度により、違って見えるのは当たり前なのかもしれません。また、見る人が「あの人はこうあってほしい」という思いを込めてみるとそのように見えることがあるかもしれません。
 ただ、他の人が私のことをどのように見ようとも、「胃がなく、五年生存率十%だった私は、こういう生き方しかないのだろうな」というものを持っているような気がします。