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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

リレーフォーライフイン広島2013  
                  皿海英幸
 「皿海さん、今年もルミナリエセレモニーでのスピーチ、よろしくお願いします」リレーフォーライフ(RFL)H実行委員長より連絡を歌だいたのは九月に入るとすぐだった。「分かりました」と返事をしたが、少し躊躇する部分があった。ルミナリエセレモニーといえばRFLでもっとも重要な部分。それに私は初回から五年連続出場している。「私で本当に良いのか。他にふさわしい人がいるのでは」と思うし、「また皿海か」と感じる人がいたら申し訳ない。
 「皿海さんががんを乗り越えてフルマラソンを走っていることを伝えるのが大切。以前聞いたことのある人は元気な姿を見ることがうれしいし、初めての人は感動するでしょう」という委員長の言葉に気持ちの整理がついた。「よし、今年も思いを伝えるぞ」
 九月十五日、起床時に雨が降っていた。朝食を済ませ、家を出る。高速バス「リードライナー」に乗るが、いつもほどスピードを出していない。三連休もしくは台風の影響か、山陽自動車道は渋滞気味だ。「サバイバーズフラッグ作製ブース」の手伝いを依頼されているので、RFL会場広島市立特別支援学校へ早目に行こうと思っていたが、さてどうなるのだろう。
 十一時四十五分会場到着。サバイバーズフラッグの件、T副実行委員長が準備をされていた。副実行委員長としてはほかにもいろいろ気になるところ、やらなければならないところがあるだろう。引き継ぎをし、自由に行動してもらうことに。その後、福山アンダンテのAさんが手伝いに来られた。Aさんとは昨年一緒にこのブースを担当しているので心強い。
 十二時開場。会場内の実行委・来場者に声をかけ、フラッグに手形とメッセージをお願いする。二枚作成予定だが、一枚はすぐに出来上がった。もう一枚はちょっと。台風の影響で強風だからか、例年に比べ出足が少し悪い気がする。二枚とも早くできれば、ブースを片づけ、私も開会式・一斉更新に参加できるのだが。
 フラッグ二枚目も完成し、ブースの片づけをする。これから夕方まではグランドを歩いたり知り合いのいるブースによって情報交換を兼ねたおしゃべりをしたり、気ままに過ごす時間。
 JA尾道総合病院の人たちが皆で集合写真をとるので、「シャッターを押してください」と頼まれる。「いいですよ」と言ったが、カメラではなくスマホ。私はガラパゴス状態のケータイを使用しており、スマホに触れるのは初めて。不用意に画面に触れたらしく、表示が変わる。タッチパネルは大変だな。JAの皆さん、ご迷惑をおかけしました。でも声をかけていただき、有難うございます。
 夕暮れ時となり、いよいよルミナリエセレモニーが始まる。最初にスピーチされたのはT副実行委員長。「皆さん、がんサバイバーはなぜ紫色を身につけるのか知っていますか?」問いかけから始まった。
 紫色は夜明けの色。治療中、とても辛く闇夜のような状態だったとしても、きっと夜明けが来ることを信じ、希望を失うことなく、自分らしく生きていこうという意味で夜明けの色とされる紫がイメージカラー。私は知らなかった。良いスピーチだった。
 私の順番がきた。「府中市の皿海です。年齢は六十歳、還暦なので赤い色の服装できました」拍手あり。心強い味方を得た気分。
      
 その後、私のがん体験・フルマラソン出場についてスピーチ。そして「私の体験から皆様に伝えたいこと、それは絶対にあきらめないでください。この中に五年生存率、あるいは余命宣告をいただいた方もいるでしょう。だけど数字は過去の統計によるもの。あなたに必ず当てはまるとは限りません。どうぞあきらめず、自分らしさを求めて生きていきましょう。私は皆様と共に生きていきたいと思っています」と言って締めくくる。司会の実行委員長が「元気が出るスピーチですね。赤い服がとても似合っていますよ」と発言。
 ルミナリエセレモニーが終了するとサバイバーズフラッグを先頭に一斉行進。その後ナイトウォークとなる。
 「あなたのスピーチ、何回聞いても感動します」
「あなたのスピーチを聞き、背中のゼッケンを見ると『今年もRFLに参加したのだな』という気がします」歩いている人にしばしば声をかけられる。「皿海さんはどうして赤い服を着ているかわかるかな」遅くなって来た人に教えている声も聞こえる。
 ルミナリエを見ながら歩いていると、今生かされている喜びを感じる。同時に誰かと命について話し合ってみたくなる。
 結局今回は三時間余り仮眠し、後の時間は歩きとおす。早寝早起きが身上の私にしては異例のこと。不思議なことにこれだけ歩いても、低血糖・空腹感を感じることが全くなかった。気が張っているのか、基礎体力は衰えていないということか。
十六日ともなれば台風は右方向に曲がり、広島からはずいぶん遠のいているのだが、昨日同様風が強い。テントの骨組みを折り曲げて低くしたり倒れたルミナリエを並べなおしたりする。予定外の作業もあるが参加者は気持ちよく協力。
 七時になると、皆でラジオ体操。朝食後は楽しみにしていた足もみ隊ブースへ。若石(じゃくせき)健康法の先生がもんでくださる。足をもまれているときは大の大人でも叫び声を上げるほど痛いが、もみ終わるととても気持ちがいい。「いつも気を使っているようですね」私の足裏をもみながら声をかけられた。「そんなこともわかるのですか」と答える。とかく「気が利かない」「空気が読めない」と家族には言われ続けている私だが、分かってくださる人もいるのだ。足もみ隊先生の一言で身体だけでなく心もしっかりマッサージしていただいた気分。
       
  十二時になると最後の一斉行進。今回も実行委員長と共にサバイバーズフラッグを持ち、先頭を歩く。委員長がカメラの前で片手を大きく降る。私も片手を振るとフラッグがヒラヒラとはためき、「リレーフォーライフ」と記した文字や手形が見えなくなる。駄目ですねこりゃあ。委員長は三人の真ん中だが、両はしの二人は手を振るより両手を使ってフラッグの上下をしっかり持つことが大切。
 十三時過ぎ、帰りの荷物を整理していると、G生命の女性が「胃が無いのにフルマラソンをしている方ですね。頑張っているのですね」と声をかけてもらった。「そうです。ありがとうございます」
 振り返ってみれば今回もたくさんの方に声をかけてもらった。ともに実行委として活動した人とは絆のようなものを感じる。声を掛け合うと懐かしさを感じる。初対面の人も「がん」という共通項があるのですぐに打ち解け、親しく話し合うことができる。
 今回は朝日。中国、二紙の新聞社に取材をされ、紙面で取り上げていただいた。私の生き方、考え方ががん患者に良い影響を与えるということで、実行委員会の紹介によるもの。私自身はRFLに参加することにより私が元気をいただいているように思っている。そして私は「腹膜播種したスキルス胃がん」という告知を受け、生きるためには今のような生き方考え方を選択せざるを得なかったと思っている。私の手柄というわけではないだろう。
 来年は尾道市内向島で開催予定だということを聞いた。府中からは広島よりずいぶん近いとなりの市。よし、来年も参加だな。ルミナリエセレモニーであれ、実行委であれ求められれば気持ちよく参加しよう。それが私の活力源になることを信じて。