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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

   緊張しました交流会      皿海英幸
 「皿海さん、今日のことをエッセイにしたらアンダンテのお便りにのせてもいいですか?」Tさんが微笑みながら話しかける。「いいですよ。また送りましょう」と応える。えっ!いつもなら「書きたいときに書きたいことを書くのがアマチュアの特権、依頼原稿は苦手です」と応えるのだが。Tさんの笑顔が魅力的だったということもあろうが、上がってしまい、伝えきれていない部分があるように思ったからエッセイで補いたいと思った。
 二月十七日、中国中央病院講堂で福山アンダンテ(乳がん患者会)交流会が行われた。そこで私は「がん体験とマラソン」という題で講演する機会をいただいた。会場はほとんど女性だったし、当日になって妻が「私も聞きに行ってもいいよね」といい、来場したことで上がってしまったようだ。
 「皿海さん、今日はビシッと決めていますね」会場受付でFさんに言われた。「わけありなのです。話の中で触れます」と言ったが忘れていた。まずその話から。
 「父さん、がんの講演のときはこのネクタイにしてね」妻と娘で水玉模様のネクタイをプレゼントしてくれた。今日もまずはネクタイが決定。それに合うシャツ、上着という順で決める。ただし上着はリレーフォーライフのピンバッチ着用可能なものということで黒いブレザーに決定。
 胃の全摘手術四日前の夕方、主治医より病状・手術の説明を受ける。夫婦で聞くが、腹膜播種したスキルス胃がんなので手術が成功しても厳しいものがある。それでも手術にかけるしかない。
 説明終了後、病室で妻と夕食をとっていると主治医が訪れる。「いかがですか」「はい、おいしくいただいています」苦笑する医師。妻が「厳しいことを言ったので『落ち込んでいるのでは』と思い、フォローに来て下さったのよ。それなのにあんな返事をして」二度目の入院なので気持ちの整理はできている。厳しいことを言われても落ち込むわけにはいかない。希望を胸に前進したい。
 術後五日目、食事が始まる。同時に腸閉そくの症状が現れる。痛みとむかつき、そして急激な血糖値の上昇。我慢するのも限界だ。点滴の管を引きちぎり四回病室から飛び降りたら楽になるかなと思うほどの辛さ。
 後日担当看護師にその時の状況を話す。頷きながら聞いていたが、「窓から飛び降りるときは担当看護師の許可を得てからにしてよ」と微笑みながら発言。今にして思えばこのときだった。「だったらケータイの番号を教えてよ」と言えるのは。
     
 講演の前にお茶とお菓子を持ってきてくれたHさん。「これを食べたり飲んだりしながら話してもいいですよ。でもせんべいは音がするからダメかな」貴女の言葉で緊張が少しほぐれました。
 司会、講師紹介をしてくださったA会長。お世話になりました。でも私の話は「ここが聞きどころ」というのがなかったかもしれませんね。映画やテレビドラマでがんを扱うと必ず涙なしでは見られないシーンがあるのですが、私はそれに違和感があります。あるがままにできるだけ淡々と思いを語りたいのです。
 続いて「奥様が来ておられるのなら紹介してください」と言われ、紹介後「きれいな奥様ですね」と言われました。「ありがとうございます」と応える私。まだ上がっているのだな。いつもなら「はい、私が磨きました」と応えることにしているのだが。
 アンダンテさんからの依頼は三カ月くらい前にあったように記憶している。そこで告知・手術前後の時期を中心に日記や自作のエッセイを読んで当時を振り返る。そこには生かされた人生を丁寧に、誠実に生きていこうとする姿が読み取れる。今は思いが薄れ、惰性で生きているようにも感じる。アンダンテの皆さんは私に当時の生き方を思い出す機会を与えてくださった。ここでしっかり反省し、再度丁寧に、誠実に生きていきたい。