2009メインメニュー

postheadericon 初春に思う(二〇一三)

2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

    初春に思う(二〇一三)    皿海英幸
 父の転倒で始まった二〇一二年。市内の医院で診てもらうと「足を骨折しています」ということで入院となった。「高齢になり、転倒すると寝たきりにならないよう注意が必要」というが、父の体力は目に見えて衰えていく。退院後、八十代後半という年齢を考え、父と共に母も介護保険の申請をしたところ、二人とも「要介護」となった。「仕事を減らし、家事の割合を増やしてくれ」という両親。私の年齢は五十九歳。職場の定年は六十五だが、つい最近までは六十だった。両親の介護や家事に取り組むことを考える年齢なのかもしれない。
 「サービス管理責任者になってくれないか」そんなときに職場で要請があった。障害者自立支援法の施行以来、小規模な福祉施設は運営が厳しくなったが、私たちの施設もそうだ。個人的な思いには反するが、受け入れざるを得ないと思った。こういうのを「魔が差す」と表現するのだろうか。
 私はもともとアナーキズムにあこがれている部分があり、劣等感の塊のような男。「管理」という名称の役職名に重圧を感じ、意欲が徐々に減退するのが感じられ、申し訳ないと思いながら過ごすことが多かった。
 ただ、プライベートではかなり前進がみられた二〇一二年。リレーフォーライフイン広島のホームページ充実ということで、『がん友のエッセイ』というコーナーを設け、取り上げてもらった。インターネットデビューということだ。これにより読者が増え、がん関係の行事に参加すると「エッセイ、読んでいるよ」と声をかけていただくことが増えた。
 また、FMラジオに生出演という経験をさせてもらった。内容はリレーフォーライフのアピールと私のがん体験を紹介だ。一過性のものかと思ったが、今も放送局のホームページで見ることができる。
 師走も押し詰まった十二月二十九日、父の米寿を祝う会を行った。数え年で祝うなら昨年だろうが、家庭内の事情により、満年齢それも年末ぎりぎりになってしまった。父にとっては「終わりよければすべてよし」となるかと思ったが、二十九日深夜、トイレで足を滑らし転倒。幸い今回は骨に異常はないが、トイレ、食事等が一人でできない事態に。「正月休みの期間、できるだけ安静に」と医師に告げられた。
 『いいよ、正月休みジョグ以外は外出を控え、家にいるから声をかければ私が対応するよ」と両親に告げる。気持ち的にはあわただしいが、身体はのんびり過ごす正月に。「職場を気にすることなく介護ができる時期でラッキー」ととらえればいいのかな。
 さて、新しい年を迎え、今年はどう過ごそうか。キーワードは「調和」のような気がする。「仕事」「家事」「趣味」の調和。そして周りの空気を読む。年末に行われた職場のアンケートで「できれば来年度はサービス管理責任者を返上したい」と記した。無理なら今年以上の取り組みが必要。個人の思いは思いとして横に置いておき、最低限の取り組みは行い、迷惑をかけないようにするのが大人の対応。
 定年は五年後に確実にやってくるので、若い人に何をどんな形でバトンを渡すかと意識した時、不器用で取り柄のない私は誠実に仕事を行っている態度を示すことが必要だろう。
 両親の、そして娘の健康を気遣いながら、家事にも取り組みたい。言うは易く、行うは難しいが傾聴を今以上心掛ける必要がある。要は話し相手となり、一緒の時を過ごすことが大切。
 趣味だが、すでにフルマラソンを四回完走しているので、今年はハーフマラソンにしようかと思っている。フルだと、胃がなく貧血気味の私が出場となれば、年間を通して計画的なトレーニングが必要。「今は○○のトレーニングをする時期だが、体調が悪い家族がいるので取り組めない」と焦ることが何回かあった。ハーフなら多少トレーニング不足でも何とかなる。
 もう一点。がん体験を伝えること、患者・家族を支援する活動は私でよければ続けたい。
 とにかく、今年は還暦を迎え、そして夏には術後七年(ラッキーセブンかな)となる私。子どもたちは赤いチャンチャンコではなく、カープの赤いユニホームをプレゼントする計画を立てているようだ。できるだけ、楽しんで過ごせる一年としたい。そして生かされていることに感謝できる一年にしたい。