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2012 - がん友、皿海英幸さんのエッセイコーナー

スピーチの前に
  「リレーフォーライフ(RFL)で最も重要なルミナリエステージに出場していただく人を決めておきたいと思います。どなたがよろしいでしょうか。
もっとも一人は決まっていますが」八月四日、実行委でH委員長が提案された。
「一人とは誰ですか?」会場が少しざわつく。「皿海さんです。はずせないでしょう」会場に拍手がわく。「分かりました。よろしくお願いします」と軽く頭を下げる。
  先日、FMふくやま出演の際も真っ先に推薦していただいた。RFL広島でとても大切にしていただいていると感謝している。また先日、看護学生との研修会において、講師として招いていただくなど、生きがいユニオンにおいても評価していただいているなと感じている。
  私のがん体験を伝えることで役に立つのなら、喜んで参加するのだが、「どこを評価し、何を聞きたいのだろうか」と、時として不安になることがある。
人前で話をするスキルは不器用なのだから(家族の評価)、私の生き方・考え方を認めてもらっているということになるのだろうか。
  客観的に見て、「腹膜播種したスキルス胃がんで、五年生存率十%程度」といわれた者が、五年以上生き抜き、職場復帰をしている。胃を全摘した者がフルマラソン完走とくれば、話題性はあるだろう。 
  ただ、治療が順調にいかず悩んでいる人、標準治療を行ったが、効果が表れず「がん難民」となった人たちは私の話・生き方をどのように感じられるのだろうかという疑問がある。
  「あなたのように強いがん患者に出会うのはまれなこと」「まさに希望の星」私の話を聞いた人、取材された人に言われることがある。だけど本来の私はそうではなく、弱いタイプ。「真面目なだけの人」「一人で考え込み、思いつめる人」だった。そんな私だが、がんの告知以来、生きるためには今のような生き方・考え方しかなかった。選択肢がなかった。そんな弱い私が考え方を変えることができたのは、生きがい療法や、患者会との出会いが影響していると思う。
  「がん対策基本法」が成立し、状況はよくなりつつあるが、「治る見込みのある患者に医療スタッフは積極的にかかわり、見込みのない患者には消極的。
あるいは冷淡」と感じている患者はいる。そしていまだに「がん難民」という言葉がある。そのあたりが最も重要であり、気になっている。
  「転移しているので、今手術はできません」「抗がん剤が効かなかったら、春になくなっていても医学的には不思議ではなかった」と主治医に言われたことがあり、私の治療経過はすべて順調だったわけではない。これからは今まで以上にこうしたことを意識した体験談にしてみたい。
そのためにはどうするか。「どういう状況であれ、絶対にあきらめない」ということを大切にした話を進めたい。私は腸閉そくの際、死の恐怖・誘惑に耐えた経験がある。期間限定で達成可能な目標を立て、クリアーすることを繰り返して、生き抜いたことを訴えたい。たとえ余命一年であったとしても、一年間一生懸命生き抜けば、新しい治療法が取り入れられているかもしれない。新薬ができているかもしれない。諸行無常だ。希望は持ち続けたい。
  生命には遅かれ早かれ、いつか必ず死はやってくる。「いつ死ぬのか」「いつまで生きていられるのか」ということは大切だろう。だけど「どういう生き方・死に方をしたのか」ということはもっと大切だと思う。
   
  「いのちの連鎖」という言葉がある。自分自身が納得できるし、そして周りの人たちに良い影響を与える死を迎えたい。そんな思いを込めた話をしてみようかなと思う。